【仏教ブログ】たきびの歌と阿弥陀仏 2021年11月15日 00:11

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。 

木枯らしが吹く季節となって参りました。

最近は消防法の関係であまり見かけなくなりましたが、以前はたき火をよくしていました。

たきびという童謡もあり子供のころはよく歌っていました。

「あたろうか あたろうよ きたかぜびいぷう ふいている」で有名ですが、木枯らしが吹く中で、焚き火の灯りはとても暖かく、体も温まり心も落ち着きます。

私たちの人生も、木枯らし吹く時があります。そんな時に、焚き火のように暖かくなるようなものが必要となってきます。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、最後に依りどころになる所を「畢竟依(ひっきょうえ)」といわれ「畢竟依を帰命せよ(浄土和讃)」と教えられています。「最後に依りどころとなるところに自分自身をまかせなさい」と勧められています。

木枯らし吹くような寒い道では焚き火が依りどころとなるように、私たちは生きているときに色々な人やものを依りどころとしています。

それは、家族であったり、友人であったり、仕事であったり、自分自身の健康であったり色々あります。しかし、突き詰めて究極のよりどころとなるものはなんなのかというとそれは「畢竟依」なのだと言われます。

この「畢竟依」とは、阿弥陀仏のことです。阿弥陀仏は時代にも環境にも、私自身の変化に関わらず私自身に呼びかけ続けてくださる仏さまです。

私も含めて世の中のものは全て変化をしていきます。依りどころとしていたものも変わっていきます。そして依りどころを失った時に、傷つき不安になります。それは焚き火にあたっている時は暖かくても、その場を離れると寒さが体に堪えるようなものです。

しかし、阿弥陀仏は変わらず私を照らして「私をあて力にせよ」と呼びかけられています。焚き火のように、一時的なものではなく、いつまでもどんな時でも依りどころとなる仏さまが阿弥陀仏です。究極にあてになる仏さまをあてたよりにして頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。