【仏教ブログ】お盆に考える―――亡き父母に対して私ができること 2020年08月15日 00:08

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前々回、浄土真宗では亡き父母の為に追善供養をすることはないと書きました。

それについて、歎異抄第5条に親鸞聖人のお言葉として以下のように言われています。

親鸞は父母の孝養のためとて、一返すにても念仏申したること、いまだ候はず。

これは、親鸞は亡き父母の追善供養(追善回向)の気持ちで念仏を称えたことは一度もないと言われたものです。

その理由の一つは、念仏は私が励んで行う善ではないからです。南無阿弥陀仏と口から称えられる念仏は、阿弥陀仏が私に差し向けられる阿弥陀仏の行であって私の行ではないと親鸞聖人は教えられています。

では、なぜ念仏を勧められるのかといえば、それは早く阿弥陀仏のお救いにあって欲しいからです。

阿弥陀仏に救われると一体どうなるのかと言えば、この世のいのちが終わると阿弥陀仏の浄土に往生し、仏のさとりを開かせて頂きます。そして仏になった後は、自在に人々を再度することができます。

そのことを、同じく歎異抄第5条にはこう書かれています。

ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと。

自力の計らいを捨てて、速やかに浄土に往生して仏のさとりをひらいたならば、六道・四生といわれる迷いの世界で、どんなところで苦しんでいたとしても、神通方便をもって、まず自分と縁のあった人々を救うことができると言われています。

こう言われていることから分かるように、親鸞聖人は亡き父母に対してなんとか助かって欲しい、苦しみの世界に生まれていたとしたら何とかそこから離れて欲しいと思って折られました。それは多くの人が思うことです。

しかし、親鸞聖人は追善供養をすることではなく、自らが阿弥陀仏の救いにあって仏になることによって実際に父母を救いにいくのだと言われています。

南無阿弥陀仏によって、浄土に往生して仏のさとりをひらけば、亡き父母が浄土に往生していれば浄土で会えますし、そうでなければ、苦しむ父母兄弟を救うためどこへでも行って実際に救うことが出来ます。

そういう意味で亡き父母にあい、また本当の意味で救うには自分自身が南無阿弥陀仏によって救われることが大事です。そのためお盆の法要でも浄土真宗では教えを聞かせていただく法座が開かれています。

近くの法座に一度足を運んで見て下さい。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。