【仏教ブログ】成人の日と成仏について
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
1月になると各地で成人式が行われます。といっても、2022年4月に成年年齢が18歳に引き下げられたため、現在「成人式」として行っているのは約6市町村に留まり、それ以外は「二十歳の集い」「二十歳を祝う会」としています。
成年年齢が18歳になったとはいえ、やはり晴れ着を着た若者が一堂に集う行事の報道を聞くと「一人前」になったと感じる方も多いと思います。
しかし、年齢で「成人」となったかと言われれば、自分自身を振り返ってもまだまだそんな自覚はなかったと記憶しています。最近は社会の変化もあって、30歳ぐらいでやっと一人前とみなされるような状況にあります。
また、論語から出た言葉で40歳は不惑といわれ、「四十にして惑わず」といわれます。孔子は、知識が十分に積み重なり、人生経験によって物事の本質が見えるようになり、外部に惑わされなくなるのだとしていました。
しかし、浄土真宗では人間は年齢によって段々と立派になっていくのではないといわれます。
親鸞聖人は、一念多念証文にこのように書かれています。
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。(一念多念証文)
臨終の息が切れるその時まで、欲も多く、怒り、腹立ち、人をそねみ、嫉む心は多く休まる間がないのが凡夫というものだと教えられています。
このような私を常に浄土へ参れと呼び続けられるのが阿弥陀仏であると説かれるのが、上記にある「水火二河のたとへ」です。阿弥陀仏の喚び声に従い、臨終まで惑い続けの私が、浄土に往生すると阿弥陀仏と同じく仏のさとりを開かせていただけるのだ教えられます。
臨終まで「立派な人」にはなれませんが、浄土で「仏に成る」ことを「成仏」といいます。成人の日に、立派な人になることも大事かと思いますが、仏に成らせて頂く道を聞いて頂きたいと思います。

※上の画像は生成AIが考えた-「モダンな本堂で成人の報告参拝を行う人とご本尊の阿弥陀如来」-です
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。


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