【仏教ブログ】慌ただしい年末と阿弥陀仏

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年は、10月一杯まで暑かったためか、秋が来たとおもったらもう年末です。気持ちとしては、やっと涼しくなってきたと思ったら年の瀬ということで、何かと慌ただしい気持ちになります。

年賀状や仕事の区切り、家の大掃除などやることは多いものの時間だけが年末に向けて慌ただしく過ぎていくように感じます。それに加えて、今年は熊の被害が多く有り該当地域の人はその心配もありいろいろと慌ただしい12月となっています。

師走ともいわれる年末の慌ただしさはどこから来るのでしょうか。多くの場合「自分でやらねば」ということが多い為かと思います。確かに、家の大掃除一つとっても誰かが代わりにやってくれるものではありません。あれもこれも自分でやらなければと思う一方、限られた時間ではできることも限られています。

しかし、どうしようもなくなった場合は、自分で何もかもやるのではなく人にまかせる場合も多くあります。年賀状も、業者に外注する人もいれば、お節料理は通販ですませるという場合もあるでしょう。

それでも「これだけは他人に代わってもらうことはできない」ということで、忙しくしている人も多いかと思います。

そんな他人に代わってもらうことが出来ないことの中で、一番大きな問題は後生の問題です。

蓮如上人は、このように書かれています。

まづ人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて(御文章1帖目10通)

このように後生こそ一大事だといわれています。これは、他人に代わってもらうことのできない問題です。

しかし、いよいよ後生となったらどうでしょうか。自分でどうにかしようにも、残された時間は短く、どうにもなりません。

阿弥陀仏は、私の後生は私の力ではどうにもならないものであると見抜いて本願を建てられました。ですから、阿弥陀仏は私に向かって「後生をまかせよ」と呼びかけ続けています。

出来ることと出来ないことがあります。年賀状でもどうにも出来ないときには、業者にまかせます。しかし、この後生の一大事は、私が阿弥陀仏にまかせるというよりは、阿弥陀仏から「まかせよ」と仰ることです。

「まかせよ」といわれるままに、阿弥陀仏に後生をまかせることを弥陀をたのむとも一心一向に弥陀に帰するとも御文章でいわれます。年末にかぎらず、後生の問題に私に時間もできることもありません。阿弥陀仏の仰せにしたがって、浄土往生する身にさせていただきましょう。

※上の画像は生成AIが考えた-「かならず救うわたしに後生のことはまかせよ」という阿弥陀仏。-です

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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