【仏教ブログ】報恩講が、私が日ごろ考える法事と違う2つの点 -その2-
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
報恩講について、前回の記事の続きを書きます。
私たちが日ごろ、父親の三回忌、祖母の七回忌と行う、いわゆる「法事」は、「故人のため」に行われ「読経が中心」と思っている人も多いかと思います。
それに対して、報恩講は親鸞聖人の祥月命日に行われる法要ですが、「親鸞聖人のため」ではなく「私のため」、「読経が中心」ではなく「法話が中心」となっている点が異なります。
蓮如上人は、御文章で信心を決定しなさいと勧められています。その理由を以下のように書かれています。
そのゆゑは、信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともすみやかに決定のこころをとるべし。(御文章5帖目11通・御正忌)
信心を決定しなければ、浄土往生は定まらないからだといわれています。だから、不信の人もすみやかに信心を決定しなさいと勧めておられます。
それだけ浄土往生を勧められる理由も、続けて書かれています。
人間は不定のさかひなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。(同上)
今年は、能登半島の地震で大きな被害がでました。その能登半島に、9月には奥能登豪雨が起きてまた大きな被害をもたらしました。自然災害が立て続けに起きるのを目の当たりにすると、「人間は不定のさかい」とは蓮如上人の時代と、現代も変わらないと思いました。自然災害がなくても、この世は老少不定といわれて、年齢に関係なくいつどうなるか分からない不安定な世界です。だからこそ常住の極楽を願うものだと勧められています。
では、浄土往生とはどうなることでかなうのでしょうか。
されば当流には信心のかたをもつて先とせられたるそのゆゑをよくしらずは、いたづらごとなり。いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがふべきなり。(御文章5帖目11通・御正忌)
浄土真宗では、他力信心が定まる時に浄土往生が定まると教えられています。しかし、その信心とはどういうものかをよく知らなかったら信心も、浄土往生も絵に描いた餅となってしまいます。急いで信心決定して、浄土往生する身になりなさいと勧められています。
それらについて、聞くご縁が報恩講のご法話です。ご縁のある報恩講に参加される際は、この御文章を心に留めておいて頂きたいと思います。
※下の画像は生成AIが考えた「家庭報恩講」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。