【仏教ブログ】報恩講が、私が日ごろ考える法事と違う2つの点
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
10月も暑い日が多かったですが、11月になりやっと秋らしくなってまいりました。
浄土真宗では、秋は報恩講が各地で行われています。
報恩講については、「浄土真宗辞典」では以下のように書かれています。
ほうおんこう 報恩講
浄土真宗において、親鸞の恩徳に報謝する法要。親鸞の祥月命日に勤修することから御正忌報恩講ともいい、最も重要な年中行事とされる。(略)
地域などによっては引上会、御取越などとも呼ばれる。なお、親鸞の示寂は弘長2年11月28日(西暦1263年1月16日)であるが、本願寺派では明治6年(1873)に太陽暦を採用し、翌年から御正忌報恩講勤修している。
報恩講とは、親鸞聖人の祥月命日に行われる法要なので、私たちの日常の言葉で言うと年忌の法事です。
親鸞聖人は、浄土真宗を開かれた方なので、今日浄土真宗のみ教えを聞いている人は、親鸞聖人から大変なご恩を受けているということになります。そのご恩に感謝して、報恩講は長い間開かれてきました。
ただ、今日の私たちが年忌の法事と聞くと、家族や知人の三回忌、七回忌法要を思い出します。いわゆる「法事」は、お坊さんを呼んで読経をしてもらい、みんなで食事をして解散するものが多いと思います。読経のあとに法話をされる方もありますが、参加者からすると、「法事」のメインは「読経」だと思われている人も多いと思います。また、「法事」も「故人なのため」と思われていると思います。
その意味では、「報恩講」は私たちが日ごろ想像する「法事」とは異なります。
「報恩講は」、「読経」ではなく「法話」が中心となります。また、「故人のため」ではなく、「参加する私のため」に行われるものです。
そのことを、蓮如上人の御文章にはこのように書かれています。
そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。
(略)
いそぎて安心決定して、浄土の往生をねがふべきなり。(御文章5帖目11通・御正忌)
御正忌報恩講に参詣をする人の中に、信心を獲得させていただいた人もいれば、そうでない人もいる。これが一番大事なことである。
いそいで安心決定(信心獲得と同じ意味)して、浄土往生をさせて頂く身になりましょうと書かれています。
私が、信心決定し、浄土往生定まる身にさせて頂くことが、報恩講が開かれる目的なのだと書かれています。
ご縁のある報恩講に参加される際は、この御文章を心に留めておいて頂きたいと思います。
※下の画像は生成AIが考えた「家庭で僧侶を招いて法話を聴聞する家庭報恩講」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。