【仏教ブログ】鯉のぼりと親心「出世」について
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
5月の連休、中でも子供の日の前後には各地で鯉のぼりが揚げられています。最近は、個人宅の住宅事情もあり家ごとに大きな鯉のぼりを揚げるところは減りました。その代わり、私の住んでいる市でも、市内を流れる川沿いに数百の鯉のぼりが毎年揚げられて、連休のイベントの一つとなっています。
なぜ「鯉」なのかといえば、期限は中国の故事にあると言われています。黄河にある竜門という滝を登りきった鯉は、龍になって天に昇るとされています。この故事から、鯉は立身出世の象徴とされ、子供が困難を乗り越えて成功する事を願って鯉のぼりが揚げられるようになりました。
鯉が龍になるという、確かに大変な出世です。しかし、仏教で言う「出世」というのは、いわゆる立身出世とは意味が異なります。元々は、俗世間の煩悩渦巻く世界から離脱して悟りを得る事を意味する「出世間」から来ています。
ただ、浄土真宗ではそのような煩悩を修行によって抑えたり消し去る事は、とてもできないものが凡夫であると言われています。しかし、その「煩悩具足の凡夫」が「仏」にするという救いが阿弥陀仏の救いです。
これに関連した話が、蓮如上人御一代記聞書にあります。
(77)
一 法敬坊、蓮如上人へ申され候ふ。あそばされ候ふ御名号焼けまうし候ふが、六体の仏になりまうし候ふ。不思議なることと申され候へば、前々住上人(蓮如)そのとき仰せられ候ふ。それは不思議にてもなきなり。仏の仏に御成り候ふは不思議にてもなく候ふ。悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏に成るこそ不思議よと仰せられ候ふなり。(御一代記聞書)
ある時の事、蓮如上人が書かれた南無阿弥陀仏の御名号が火事で焼けた際、その御名号が六体の仏となりました。そのことを法敬坊が、蓮如上人に「大変不思議な事ですねと」言うと、蓮如上人は「それは不思議なことではない。なぜなら仏が仏になられたのだから不思議でも何でもない。それよりも、悪凡夫が阿弥陀仏の救いにおまかせするする信心一つで、仏になる事こそが不思議である」と言われました。川を上る鯉が龍になるのも大変なことですが、凡夫が他力信心一つで仏になるというのは大変どころか不思議なことです。
鯉のぼりをみて、子供に立身出世を願うのも親心というものですが、凡夫に仏に成れよと願われれるのは阿弥陀仏の大慈悲の心です。
以下の画像は、画像生成AIが考えた、「立身出世の象徴である鯉のぼりを、子供が困難を乗り越えて成長することを願う親が上げる姿」です。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。