【仏教ブログ】卒業式のシーズン。卒業後の向かうべきところを考える

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

3月は卒業のシーズンです。しかし、この度の令和6年能登半島地震で被害を受けた地域では、故郷を離れた場所に避難をした生徒も多く、また学校そのものが使えない状況と言うところもあります。

みんなでそろって卒業式に参加できないというのはなんとも残念な所です。卒業とは、一つの事業を完了する事や、学び終えて学校を去る事を言います。私たちは、これまで小中学校と卒業をしてきました。そこから先は、人によって、高校や専門学校、大学を卒業をしてきました。

仕事についても、その仕事を卒業する時があります。いろんなものを卒業して、次の環境へと歩みを続けてきたのがこれまでの人生です。人生というのも一つの事業と考えると、これを完了した卒業とは、私が人生を全うする時となります。この人生を卒業した時に、私は一体どこへと向かうのでしょうか。

親鸞聖人の書かれた教行信証には、以下の善導大師の書かれた文章を引用されています。

帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん(教行信証・証文類)

(現代語)

さあ帰ろう、迷いの世界にとどまるべきではない。はかり知れない昔からさまざまな迷いの世界を生れ変わり死に変りし続けてきた。どこにも何の楽しみもなく、ただ嘆き悲しみの声ばかりである。この一生を終えた後には、さとりの浄土に往こう。

最初に「帰去来(いざいなん)」とあるのは、陶淵明の「帰去来辞」の中の言葉です。引用元の漢詩では、故郷に帰る決意の言葉として出てきますが、ここでは浄土に生まれたいという気持ちを表されています。

能登半島で地震に遭われた方の中には、住み慣れた地元を離れて避難生活を送っておられる方も多くあります。今は色々と不便な避難生活ですが、早く故郷に帰りたいと皆さん思っておられることだと思います。故郷というのは、自分にとって帰るべき大切な場所です。

その故郷とも最後離れなければならないのが、私が寿命を迎える時です。その時に、帰るべき所、向かうべき所があるのだと示されているのがこのお言葉です。

ここでは「かの涅槃の城に入らん」と書かれています。これは阿弥陀仏の浄土を言われたものです。向かうべき所は、浄土往生です。人生の卒業を迎える時にはそうありたいものです。

以下の画像はAIが考えた

「帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。

到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん」です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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