【仏教ブログ】お仏壇はなぜ金色なのか?
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」5月末の放送回で奥州藤原氏が源氏によって滅ぼされました。
奥州藤原氏といえば、中尊寺の金色堂が有名です。1124年(天治元年)奥州藤原氏初代清衡によって建立されました。阿弥陀如来を中心に、さまざまな菩薩像が安置され、内陣はすべて金箔と螺鈿細工で施され現在国宝となっている建物です。
これほどではないにしても、とくに浄土真宗のお仏壇はみな金色で飾られています。では、なぜ金色なのでしょうか?
仏説無量寿経には、阿弥陀仏の本願のなかで、浄土にいる菩薩や人はみな金色であると説かれ、また浄土そのものも金色であるとされています。
仏説阿弥陀経には、建物も道も、池の底にまで金色やいろいろな素晴らしいもので飾られていると説かれています。
金は昔から貴重なものであると同時に、化学的にほとんど変化をしないので変わらないものの象徴となっています。鉄や銅のように錆びることがありません。
いつまでも変わらない世界ということで、変わり通しのこの無常の世に対して、いつも変わらない常住の極楽ということを表現されたのだと思います。
私たちは、つい「金色」ときくと、「豪華な」「立派な」と想像して、阿弥陀仏や浄土もそんな世界だと想像します。しかし、浄土というところは、文字通り「清浄な世界」という意味です。楽しい行事が満載の、豪華客船のようなところではありません。
そのため親鸞聖人は、「極楽」という言葉はほとんど使われず「浄土」とか「無量光明土」とされています。「光」というのは、仏の智慧を表す言葉ですから、「限りなき智慧に照らされた世界」が浄土を表す言葉となっています。また、阿弥陀仏も「無量光仏」といわれます。そういうことを表すためにも浄土真宗では、お仏壇に金色が使われています。
生死に迷う私たちにむかって、無量の光明をもって照らして下さる仏と世界があることを示すためのお仏壇です。手を合わされる時は、そのように阿弥陀仏と浄土を思い出して頂きたいと思います。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。