【仏教ブログ】読書の秋「まづ物をよめ」との蓮如上人のお言葉
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
暑くて長い夏もようやく終わりを見せつつあります。もう10月ですが、やっと秋になってきたように感じます。秋といえば読書の秋です。
各地の書店や図書館では、秋の読書週間と銘打っていろんなイベントが行われています。しかし、スマートフォンの画面を見る時間は増えても、本を開く時間は減少傾向にあります。
浄土真宗の門徒の方は、実は毎日本を開く習慣があります。本といっても、お聖教・仏教の本のことです。毎日、勤行をされる方ならば、正信偈と和讃を拝読されると思います。
あまりそういう習慣がない人は、たまに法事などで住職が阿弥陀経や正信偈を拝読する場面に出会うと、意味は分からなくてもとにかく僧侶が読経することに意味があると思われている人も少なくありません。
この「読経」というのは文字通り『お経を読む』事です。読むからには書かれている事が分からなければ読んだ事になりません。お経に限らず正信偈も、僧侶以外読んではならないものではありません。浄土真宗では、毎日の勤行を自宅のお仏壇の前でされている方も多くあります。自分自身はした事が無くても、かつて自宅で祖父や祖母が勤行をされている姿を見た事がある人もおられると思います。
数えてみると正信偈を毎日勤行で拝読をすると、一日一回でも10年間で3650回、二回なら7300回読んでいる事になります。それだけの回数同じ本を読むという事は一般の本では考えられない事です。
葬式や法事で耳にした事しかない人にとっては、手に取って拝読をするというのはハードルが高い事かと思います。しかし、蓮如上人はまずは読んでみようと勧められています。
蓮如上人御一代記聞書にはこのように書かれています。
一 蓮如上人、幼少なるものには、まづ物をよめと仰せられ候ふ。またその後は、いかによむとも復せずは詮あるべからざるよし仰せられ候ふ。(御一代記聞書215)
蓮如上人は、年少のものに対しては「とにかくまずお聖教を読みなさい』と仰いました。またその後は、『どれだけお聖教を読んだとしても、繰り返して読まなければその甲斐はない」と言われました。
最初は難解に思われる方も多いと思いますが、まずは勤行の本を手に取って始めてみてはいかがでしょうか。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。