【仏教ブログ】自分の絵に鬼の角をつけた浅原才市さん

節分の鬼に関連して、もう一つ話をします。

浄土真宗の妙好人として有名な島根県の浅原才市さん(1850−1932)の肖像画についての話があります。

浅原才市さんは、いつも念仏を申して寺に熱心に通う人でした。また、性格もおだやかな方だったようでした。その才市さんが69才のとき、地元の画家が才市さんの絵を描いてくれました。完成した絵は、才市さんが座って有り難そうに合掌している絵でした。

周りの人は、とても才市さんに似ていると口々に言いました。しかし、当の才市さんは納得いきません。それは「自分はこんな仏様のような穏やかな顔をしている人間ではない。自分は何かあれば人を排除して亡き者にしようとする鬼のような心がある。」というものです。

そこで、才市さんは完成した絵に鬼の角をつけ足して書いてもらうことにしました。そして完成した絵を見て、これが自分の姿だと満足しました。

そこで、自分の姿を鬼だと聞くと、そういう目線で生きていくのは大変つらいことのように思います。しかし、浅原才市さんは念仏申しながらとても生き生きとした生活を送っていたようです。

「これ才市どこにおるか浄土もろうて娑婆におる、それがよろこびナムアミダブツ」

阿弥陀仏の本願通りに救われてみると、自分自身は浄土往生が定まる身となります。そのことを「浄土もろうて娑婆におる」と言われています。

自身が鬼であるということは変わりませんが、堪忍土ともいわれるこの娑婆世界がそのまま浄土往生する身として生きる場となります。

阿弥陀仏の本願は、私のような自分中心にしかものごとを捉えることが出来ない鬼のような者を救う為に建てられたものです。その私を現在ただ今救って浄土往生定まる身にして下さいます。鬼のような自分が生きているままが、浄土へ向かう人生となるのですから、生きることも有り難く、また死んでいくこともまた有り難いことだと言えるようになります。それを「それがよろこびナムアミダブツ」と言っています。節分で鬼を外に追いやらなくても、自分が鬼でも「浄土もろうて娑婆におる」という身に救われて下さい。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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