【仏教ブログ】オリンピックの金メダルと浄土真宗の信心の違いについて

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

フランスのパリでオリンピックが開催されています。2024年7月25日から競技が始まり、8月11日まで開催されます。

オリンピックと言えば、日本の報道では、誰がどのメダルを獲得したのか、有力選手や競技がどこで敗退したのかが大きく取り扱われています。

金メダルを勝ち取った選手には、本当におめでとうと言いたいです。ただ、メダルが有力視されながらも、勝負は時の運というところもありメダルを逃した選手もいます。

とかく日本では、オリンピックが好きな国民性もあり、メダルを取ることがとても重要視されています。3位まではメダルが獲得できますが、4位以下では報道の扱いもとても小さいものとなります。

もちろん、オリンピック代表になった時点で国内ではトップクラスのアスリート達です。メダルの有無に関わらず、とてつもない才能と努力を重ねてきたに違いありません。

しかし、金メダルを貰えるのはどの競技も一人だけです。

それに対して浄土真宗の信心は、才能や努力に応じて、限られた人にだけ与えられるものではありません。いわゆる論功行賞というものではありません。

いつでもどこでも誰にでも与えられるのが、浄土真宗の信心であり救いです。

弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。(歎異抄第一条)

全ての人を救うと誓われた阿弥陀仏の本願には、老少善悪の人を選ぶことはありません。年を取っているか、若いかは関係ありません。善人も悪人も差別はありません。

年を取ってから聞き始めるよりも、若い時の方が、頭もしっかりしているし聞いた話もよく覚えていられるからそっちの方が良いのではないだろうかと言う方もおられます。私も、もっと早くに仏教を聞きはじめればよかったと言われる方の話を聞いたことがあります。あるいは、自分のような怠け者には救われると言っても遠い存在に感じると言われる方もいます。

しかし、そのような努力に応じて救いが与えられるというのではないというところが浄土真宗の救いの有り難いところです。

それが「ただ信心を要とす」と言われるところです。「努力」や「年数」は関係ありません。阿弥陀仏の救いを信じるか、撥ね付けるかが、救われるかどうかの分かれ道です。決してオリンピックのメダルのように特別秀でた一人に与えられるものではありません。


下の画像は生成AIが考えた「全ての人を救うと誓われた阿弥陀仏の本願」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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