【仏教ブログ】「彼岸(浄土)」へはどうやって行く?
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
お彼岸にちなんだ、前回の話の続きです。
浄土真宗で「彼岸」といえば、阿弥陀仏の極楽浄土を指しています。また、彼岸が春分と秋分を挟んでの7日間行われるのは、迷いの世界(六道)を離れるという意味で、六道の六に一を足したものともいわれています。
迷いの世界を離れるといっても、私たちの目には浄土という世界は目で見ることはできませんし、Googleの地図で調べても出てきません。阿弥陀経には、西方十万億仏土を過ぎた世界と説かれているので、果たしてそんな遠いところまでどうやって行くのだろうかと考えてみると見当もつきません。
そこで、阿弥陀仏は私の所までやってきて、浄土に来なさいと招いておられます。
そのことを、親鸞聖人はご和讃で以下のように教えられています。
弥陀・観音・大勢至
大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ
有情をよばうてのせたまふ(正像末和讃)
私の住むこの此岸のことを、「生死の海」ともいわれています。生死というのは、生まれ変わり死に変わり六道を輪廻していることをいいます。それが果てしなく底も知れないということから「生死海(生死の海)」といわれます。
その生死の海から、彼岸(浄土)へ渡して下さるのが、「大願のふね」です。これは、阿弥陀仏の本願によって成就した南無阿弥陀仏のことをいわれています。
阿弥陀仏、観世音菩薩、勢至菩薩が、南無阿弥陀仏の大きな船に乗って、私のいる生死の海に浮かんで、私を呼び続けて乗せてくださるということをいわれているのがこの和讃です。
どこに浄土があるかも、行き方も分からない私に対して、阿弥陀仏の方からやってきて、私によびかけ、浄土行きの船に乗せてくださるのです。ですから、そのよびかけを受け入れて、船に乗れば必ず浄土に行くことができます。
では、よびかけとはどんな声なのかといえば、私の口から出て下さる南無阿弥陀仏がそれです。私の口で称えているように思いますが、その南無阿弥陀仏は阿弥陀仏が私を浄土(彼岸)に来なさいと呼び続けておられる声なのです。
それを、私が聞き入れて疑い無いことを信心といいます。ただ今、この南無阿弥陀仏を私に向けて「浄土(彼岸)に来れ」との呼び声と聞き入れる人は、その時浄土往生が定まります。
お彼岸をご縁に、浄土に往生する身にさせて頂きたいものです。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。