今年も半分過ぎて思うこと 2019年07月07日 10:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

明けましておめでとうございますと言ってたのが、つい先ほどのように思っていましたが、もう6月も終わり一年で言えば半分を過ぎたことになります。

私は、6月が終わると聞いて毎年思うことは、「もう半年も経ったのに何も変わっていない」ということです。光陰矢の如しと言われますが、本当に月日が経つのは速いものです。

月日が過ぎるのが速いということで言えば、浄土真宗を開かれた親鸞聖人が大変尊敬されている、中国の善導大師は「往生礼讃」にこのように仰っています。

人間怱々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。

灯の風中にありて滅すること期しがたきがごとし。忙々たる六道に定趣なし。

いまだ解脱して苦海を出づることを得ず。いかんが安然として驚懼せざらん。

おのおの聞け。強健有力の時、自策自励して常住を求めよ。(往生礼讃)

(大意)

人間はあわただしく、日常の生活に追われて、寿命が刻々と縮まっていることに気がつかない。

それは、ロウソクの火が風に吹かれているのに消えることをどうしようもないことに似ています。果てしなく続く六道には定まることろがありまません。これまで、その苦しみの世界を出たこともありません。なぜ、ボーッと生きてその状況に驚かないのであろうか。

一人一人が教えを聞いて下さい。元気な時に、救いを求めて下さい。

私たちの寿命を灯火にたとえられています。今日で言えばロウソクの方が分かりやすいと思いますが、ロウソクの火が灯るということは、寿命というロウソクを燃やし続けることになるりす。例えば、100年の寿命のロウソクだとすると、その100年分のロウソクを燃やし続けるのが人生だということになります。運動をしたり、食事に気を使ったり、病院にまめに通うのは、少しでも長く生きるためだと思います。しかし、そのロウソクは部屋の中にある訳でなく風が吹いている外に立っているのです。ですから、突然強い風にさらされるとロウソクの火は忽ちに消えてしまいます。

重い病気にならなくても、突然の事故や災害で命を失うというのは丁度このロウソクの火が消えるようなものです。

そんな状態が私であると同時に、何も無くても寿命というロウソクは年々短くなっていきます。本当に、求めることはその生死の苦海を離れて浄土の救いを求める事だと教えられています。

年の瀬にもう一年経ったのかと思う前に、一年の半分が過ぎたことを通して考えて見て下さい。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。