【仏教ブログ】紅葉と仏教 2020年11月16日 00:11

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

11月ともなると、朝晩もすっかり冷え込んで来ました。日中と夜の寒暖の差が大きくなると紅葉のシーズンです。

秋の観光といえば、紅葉狩りです。春の花見と並んで、両者に共通しているのは、「その時しか見られない」点です。言い替えると春の桜も、秋の紅葉も最後は散ってしまいます。そこに、いろいろと感じるところがあります。

その意味で、春の花見に比べて、秋の紅葉狩りはなんとなく淋しさが漂います。それは、紅葉というものが満開の桜に比べて、人生での終盤を感じさせるからではないかと思います。

かくいう私も、10代、20代のころは春の花見と秋の紅葉狩りを比べたならば、断然春の花見の方が好きでした。満開の桜というのは、いわば桜にとっての一番きれいな瞬間であり文字通り華があります。それに対して、紅葉は葉っぱの色が変わっただけというように思っていました。しかし、40代になったころから紅葉をみて非常に感ずるところが出てきました。自分自身も人生の季節で言えば、夏を過ぎて秋にさしかかってきたからだと思います。

桜の花は、パッと咲いてから散っていきます。それに対して、紅葉は花が咲く訳でもなくその身を赤く染めてから静かに散っていきます。人間で言えば、壮年期から老年期に向かっていく姿と重なります。

「出る息は、入る息を待たずして命終わる」

と言われます。紅葉も気がつけばどんどん色づいたかと思ったら、ハラハラと地面に落ちていくように、私の命も呼吸をしている間に残りは短く成っていきます。最後はこれが最後の一息という時が来ます。

紅葉の葉は、地面に落ちて終わりではなく、腐葉土となってまた木の栄養となります。同じように、私のいのちもこの肉体が老いて死んで灰になって終わりではありません。また、次のいのちに生まれていき、また死んで、生まれることを繰り返すのだと仏教では教えられます。これを、輪廻とか、生死流転と言われます。

その際限のない、輪廻から出て離れるのが、仏教で言うところの救われたということです。しかし、そんなことは誰でも出来ないと思うのが普通です。しかし、どんな人も、生死流転を離れて浄土に往生して、仏になるというのが浄土真宗の教えです。どうか、浄土真宗の教えを聞いて、生死を離れる身になって頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。