【仏教ブログ】節分の日「鬼は外」に思うこと 2020年02月03日 00:02

2月3日は節分の日です。近年では、豆まきよりも恵方巻きを食べる日になっている感じもします。

それでも、全国各地で「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆まきが行われます。鬼を外に追い払い、福を内に呼び込もうというのが、その掛け声の意味です。

鬼は外と言って、鬼が外に出て行けばよいのですが、自分自身が鬼だとしたらどうでしょうか?

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、ご自身の姿を振り返った和讃をいろいろと書き残されています。

一つ紹介します。

悪性さらにやめがたし

 こころは蛇蝎のごとくなり

 修善も雑毒なるゆゑに

 虚仮の行とぞなづけたる(悲歎述懐和讃)

我が身の悪性というのは全く止められることもなく、心は蛇蝎のような恐ろしい心しかない。また、善を修めても毒の雑じった善であるから、ウソ偽りの行と名づけられているというものです。

もちろん親鸞聖人は、ご自身を振り返って仰っていることであり、第三者から見てもこういう方だったということではありません。しかし、親鸞聖人に限らす自分自身をよくよく振り返ってみると人に明言できるほどまことの心をもっているとは言えないのが私です。

常に自己中心的にものごとを考えて、自分に反対する人間は排除しようとするのは鬼の姿です。その発想から、鬼を自分の家から排除しようというのが「鬼は外、福は内」です。

しかし、自分以外の鬼を外へ追いやり、福を内に招いたところで、自分自身が鬼であればやはり自分の家は鬼の住み家となってしまいます。鬼の姿では生きていても苦しいだけと思われるかもしれませんが、そういう私が救われる道を教えられたのが浄土真宗の救いである阿弥陀仏の本願です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。