【仏教ブログ】会者定離と倶会一処 2019年12月31日 12:12

光顔寺納骨堂のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年も師走となり、年賀状の準備に忙しい方もあると思います。毎年、何人かの方から喪中につき年賀お断りのハガキを頂きます。その中にしばらく会っていなかった方の家族からハガキが来て、初めてその方にはもう会えないと知る場合もあるでしょう。会者定離とはいえ、実際にそういう場面になるとなんとも寂しい気持ちになります。

では、離れ離れになった人とはもう二度と会うことが出来ないのでしょうか?浄土仏教では、再び会える場所が有ると教えられています。それが、浄土です。阿弥陀経には「倶会一処」と説かれています。

こちらがその部分です。

舎利弗。衆生聞者。応当発願。願生彼国。所以者何。得与如是。諸上善人。倶会一処。

「舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。」

現代文

舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国(浄土)に生れたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。

もちろん死んだ人がすべて浄土に往生しているわけではありません。

阿弥陀仏の本願念仏に救われた人は必ず浄土に往生します。そして、同じように阿弥陀仏の本願念仏に救われた人はともに同じ浄土に往生するので「倶会一処(ともに一つのところで会う)」と説かれています。すでに先立った人が、浄土に往生されていれば、次に浄土往生する人にとっては別れとはしばしの間のことで、永遠の別れではありません。

阿弥陀仏の本願はすべての人を浄土に生まれさせるというものです。そのために、具体的に現れてくださったのが南無阿弥陀仏です。本願を信じ、南無阿弥陀仏を称えるものを必ず浄土に生まれさせるというのが阿弥陀仏の願いです。その阿弥陀仏の本願を聞いて信じ浄土往生する身に救われて下さい。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。