【仏教ブログ】七夕の願い事と仏の願い
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
七月七日は七夕の日です。各地で、七夕の飾りが作られ、短冊に願い事を書いている人も多くあります。
近所の商業施設の入り口にも、大きな笹の飾りが作られいろいろな願い事が書かれていました。
「入試で合格できますように」とか「字がうまく書けるようになりたい」など人によって願いはさまざまです。みんな自分の願いを書いています。
浄土真宗で「願」と言えば、阿弥陀仏の本願のことを指します。
大無量寿経には、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時に「すべての人を救いたい」という願いを起こされたと説かれています。
この「願い」は、七夕の短冊にあるものと違うのは、実際にその願われた通りになるように、長い時間考えられ、
そしてそれが実現するようにまた長い時間ご修行をなされたところです。
また、自分自身の願いであると同時に、全ての人に向けられた願いという点も違います。
その願いが、願ったとおりになられた結果として、阿弥陀仏という仏となられました。
そのことを親鸞聖人は、浄土和讃にこのように書かれています。
(八二)
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
あらゆる世界のすべてのものに、どうか念仏してくださいと願われ、念仏するものを摂め取って決して捨てられないので阿弥陀と名づけられたのだという和讃です。
その意味で、浄土真宗で念仏を申すのは、阿弥陀仏の願いが具体的に私の口から出てくださっている姿だと教えられています。
七夕で、自分の願いを心に思い浮かべることもいいですが、もっと大きな願いが仏様から私にかけられていることを知って頂きたいと思います。

※上の画像は生成AIが考えた「自らの煩悩のままの願いを七夕にかける人とその人を救おうと願いをかける阿弥陀如来」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。