【仏教ブログ】師走は年果つ・年の瀬に考えること

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

12月になりました。師走は「師も走る」ほど忙しい季節と言われ、何かと慌ただしい時期です。今年は、夏が長く秋が短かった為にいつの間にか年の瀬になったという印象です。

師走の語源には、ほかに「年果つ(としはつ)」と「四極(しはつ)」があります。

「年果つ」は、「年が果てる」「1年が終わる」という意味の言葉です。「としはつ」が変化して、「年果つ」が変化して「しわす」になったとされています。「四極(しはつ)」は、四季の極みということで、春夏秋冬に最終地点、1年の最後の月と言われます。

一年の終わりとは、年が果てる、季節が極まることだと思うと、慌ただしく過ぎると言うよりも、静かな気持ちで過ごしてゆきたいものです。

一年の終わりが年果つですが、それも重ねていけば、「年がきわまる」ということがあります。

親鸞聖人のお手紙の中にも、それについて書かれているものがあります。

この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。(御消息集26・末灯鈔12)

これは、「としきはまり」年が極まるということですから、この世の命が終わることを指してかかれたものです。既に高齢となられた親鸞聖人がお弟子に宛てて、自分は年が極まって貴方より先に浄土に往生するから、浄土で待っていると書かれています。

年が極まったら、定めて浄土に往生するのだと言われています。

この世は何が起きるか分からないとはいいますが、昨年末には元旦に能登地震があるとは夢にも思っていませんでした。そう思っていると11月末にはまた能登地方で震度5の地震が起きました。

12月は毎年来ますが、いつまでも新年を迎えられる訳ではありません。私も「年極まる」というときが必ず来ます。その時に、必ず浄土に往生させて頂けるのだという身に救われるが阿弥陀仏の救いです。阿弥陀仏は、師走も正月も私を常にわが浄土に往生しなさいとよび続けておられます。慌ただしい年の瀬ですが、阿弥陀仏の喚び声を聞いて頂きたいと思います。

※下の画像は生成AIが考えた「阿弥陀仏の喚び声」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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