【仏教ブログ】昨今のコロナウイルス問題から思い出す御文章4帖目9通「疫癘」(1)

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

新型コロナウイルスの影響で、感染された方、亡くなられた方も出てきている状況です。予防の為の需要が高まり、マスクや消毒液の品不足が続いております。

多くの病気に対して治療薬が開発されている現代では、有効な薬がない新型ウイルスは大きな脅威として人々に不安を与えています。

こういう病気についての話を耳にすると思い出すのが、御文章4帖目9通の「疫癘」と言われる部分です。御文章は、蓮如上人(1415−1499)が御門徒に書かれたお手紙です。その手紙を通して御門徒に浄土真宗の教えを伝えていかれました。

その中でも今回紹介する4帖目9通「疫癘の章」は、当時流行病によって多くの方が亡くなったころに書かれたものです。

一部引用して紹介します。

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当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。(御文章4帖目9通)

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この当時、多くの方が流行病によって亡くなりました。しかし、流行病によって初めて人は死ぬのではありません。生まれた時より決まっていることなのです。だからそれほど驚くことではありません。

蓮如上人がこのお手紙を書かれたのは延徳四年です。死者が多く出たために年号を変えたほどでした。この頃は、医学研究も進んでおらず、このような大規模な病死者が出ると何かの祟りであると考えたり、あるいは日の善し悪しではないかと考える人がとても多かった時代です。そのためこのような疫病や自然災害が起きると年号を変えるということをよく行っていました。当時の人の不安はとても大きかったと思います。

それに対して蓮如上人は、「さのみふかくおどろくまじきことなり」そんなに驚くことではないといわれています。

それはなぜかと言えば、死ぬこと自体は生まれた時より決まっていることだからです。病気があって初めて人は死ぬのではなく、生まれたからには必ず死ぬと言うことです。

ただ、私たちは日ごろ死ぬということに驚かないどころか、忘れて生きているのが実態です。今回のような新型ウイルス問題が起きると、病気に感染するかどうかを不安に思う人はありますが、死ぬことに驚く人は多くありません。

死を間近に感じて当事者として死を考えた時にいろいろと浮かぶ不安や問題があります。それに対しての救いを説かれたのが仏教であり、浄土真宗です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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