2018/12/28 日経MJ様 (東京都千代田区) に弊寺の取り組みが掲載されました。
5G時代(次世代/第5世代高速通信時代)を見据えた 供養と先端技術の融合、ハイグレードIoT納骨壇、ハイグレード仏壇型納骨壇の紹介に加え、今後の展望などもお話しさせていただきました。
「納骨堂 思い出を動画で」—富山の光顔寺、遠隔地視聴も計画—
金沢 富山 納骨堂
2018/12/28 日経MJ(日経流通新聞)様に弊寺の取り組みが掲載される予定です。
富山発、5G時代(次世代/第5世代高速通信時代)を見据えた永代供養と先端技術の融合やハイグレードIoT納骨堂・ハイグレード仏壇型納骨壇の紹介に加え、今後の展望などもお話しさせていただきました。
尚、特別な報道がある場合は、掲載が延期される場合もあるそうです。
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
今回が、初めての投稿になります。よろしくお願い致します。
こちらは「仏教ブログ」ということで、浄土真宗に限定しない形で、仏教に少しでも関心を持たれた方にむけた形で書いていきたいと思います。講座や講義のような形ではなく、御自身の実生活によりそった内容を目指していたいと思います。
そこで、第一回目は「仏教は誰のため?」ということについて書いていきます。
このような内容について書くのは、寺の役員をされているような方を除くと、多くの人に取って「仏教」「寺」「僧侶(または住職)」とは、自らが喪主なるとき以外は接触がないのではないでしょうか?
私個人の経験を書きますと、私の父は2015年1月に脳幹出血で午前6時頃倒れて、同日18時には息を引き取りました。私は長男でしたが、親戚も含めて最初に問題になったのは「どこの寺に電話したらいいの?」でした。といいますのも、私の父親は出生地を離れて、自営業を始める為に市街地に引っ越して店を構えていたからでした。先祖代々お世話になった寺は跡継ぎはなく、過疎化で別の寺の住職が兼任するという状態でした。
そこから親戚があちこち調べて葬儀を含めてお世話になる寺を調べて電話をしました。その後、通夜、葬儀、火葬、49日の法要、納骨と続きました。
この文章を読まれている方で、喪主になられたり、また身近な方の葬儀に参列された方もあると思います。そういう「葬儀の当事者」にとって「仏教」「寺」「僧侶(または住職)」は、「亡くなられた方のためにあるもの」と思われる方も多いかも知れません。
実際私も、亡父の葬儀の喪主としていろいろと関わってきて見えてきたことは、ほぼ全員といっていいくらい「仏教」「寺」「僧侶(または住職)」は、「亡くなられた方のためにあるもの」と思われているのだなということでした。
言い替えると「まだ死んでもいない自分には関係ないもの」と思われる方も多いということです。ですから、葬儀に関係して「あの一連のことはどういう意味があったのだろう?」と思われている人もあるかもしれません。
ここで、結論をいいますと仏教とは「死んだ人のためではなく私のための」「死んでからではなく今の」ものです。
そういうことを中心に「仏教は私のためのものだったのか」と知っていただきたいと思って今後このブログに書いていくので宜しくお願いいたします。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。
今般、光顔寺の仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)に就任いたしました。
私は1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信しました。
その後、親鸞会講師部員となり10年間親鸞会講師として活動をしました。
その後、2008年末に「親鸞会講師部を辞めるなら1000万円支払う誓約書を書け」の話が出て、さすがにこの団体にはついていけないと感じて脱会しました。
脱会に際し、教義の疑問というのは意外に思われるかも知れませんが、それほどなかったのが実態です。私の場合は脱会した(正確には除名処分をうけてはじき出されて)から、いろいろ勉強して教義の誤りに気がついたというものです。
「なんとなくおかしい」くらいには感じていましたが、「絶対に違う」とまでは思っていませんでした。また、そうでなければ10年間講師部員でありつづけることはできませんでした。それだけ、外部情報と遮断されていたのでその状態で「教義がおかしい」と断言できるような物差しが当時の私にはありませんでした。
譬えていうと、太平洋戦争中に大本営の情報にしか触れていないかつ、空襲もうけていない地域の一市民が、「日本は負ける」と思わないようなものです。
ただ、なんとか救われよう という気持ちがふと起こされて、御文章だけをたよりにしていたような状況でした。
御文章を真剣によんでいくと「なんのやうもなく」など、正直よくわからない表現が気になりじたばたしていたので、そのころは親鸞会の教義=浄土真宗でしたのでさして疑問は起きていませんでした。
ただ、御文章によって救われてみると、組織の異常な状態にはつねづね疑問をもっていたので、「1000万円の誓約書」の話が出た時に、完全にもう辞めようと踏ん切りがついたというものです。
その後は、主に本願寺派の教えを中心に学んでいます。
とはいえ、私は僧籍を取ってはいません。
その理由は、かつて「親鸞会」という組織の論理にふり回されてきたからです。組織の大小に関わらず、組織を作ると「組織の論理」というものが働いてきます。もちろん、組織には良い面も有るのですが、私個人としては組織に属する生き方はしないと考えています。
そんな私ですが、本願寺派光顔寺の信徒として、非常勤スタッフとて活動をさせて頂けるのは大変な喜びです。個人的には、多くの人に浄土真宗の教えを知っていただきたい、浄土真宗の救いにあって救われて頂きたいと思って山口を中心に全国で活動しています。
そんな私ですが、宜しくお願いいたします。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、終活プランナーのKTです。
セレモニー関係の方はよくご存知かと思います。お寺での納骨堂の説明をしていると、内覧会に来られた方によく金額の事を聞かれます。お答えの仕様がありませんが、たまたまヤフーニュース全国版に転載された記事を発見しました。ご参考に。
今後は、このニュースのコピーをご覧いただくようにします。こんな費用を考えると、当寺の納骨壇の価格、「これでよいのかな」と思う次第です。身内のCМと疑われるかもしれないので、これ以上書きませんが。
時代は間違いなく「身内のお墓」から「寺院での永代供養墓」です。断捨離の言葉で捨てると誤解を受けますが、身内の「不安定な供養」からお寺さんの「永代の供養に」バトンタッチする供養。考え方を変えることも必要かと。
永代供養 富山 金沢
2018/12/14 日本経済新聞様(東京都千代田区)に弊寺の取り組みが掲載されました。
ハイグレードIoT納骨壇、ハイグレード仏壇型納骨壇の紹介に加え、今後の展望などもご紹介いただきました。
明日、2018/12/11(火)18:15~
北日本放送株式会社様(富山市)のKNB news everyに弊寺の取り組みが紹介されました。
KNB news everyのHPより1週間程度の間、放送をご覧いただけるそうです。
URLのリンクを張っておきますので、ご覧ください。
永代供養 墓じまい 納骨堂 富山
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、終活プランナーのKTです。
それぞれのご判断にお任せしますが、海洋散骨はグレーゾーンとか。
手を合わせる現実的な対象が無いと、まだまだ納得がいかないのが多くの方のご意見、感想です。きれいな文章に騙されませんように。ご参考程度に。
文中の感心の在る箇所は以下。
帰りの船内では、今井さんは遺族との献杯を交えながら、今後の「ご供養」について語る。海洋散骨には「お墓」のように「ここに行けば(故人に)会える」という場所がないため、今後、どのように故人を弔ったらよいのかと悩む遺族もいらっしゃるのだという。
特に、以下は確心がいかない部分です。手はどこにいても合わす事が出来るが、本当につらい時、自分はどのようにするのだろうかと思った時、両親のお墓で手を合わせる自分の姿しかイメージできないが。
「お墓や遺骨が目の前になくても、皆さんが日々、心の中で故人のことを思い出してあげることが本当の供養ではないでしょうか」
何か、ちがう。
遺骨遺灰の有害物質(六価クロム)について
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、終活プランナーのKTです。
自身もこの仕事について1年たちました。お墓に関連する記事もネットなどで勉強させていたいて来ました。納骨堂とは何かで、しっくりする言葉が「合祀墓に遺骨を入れること」です。記事のようにデメリツトではなくこれこそが、納骨堂の原点ではないかとおもっています。
お二人用、お一人用、そして合祀と縷々お墓のstyleはありますが、究極の確信を得るためにもこの仕事に携わっていきたいとおもっております。
終活の配信記事が来ました。エンディングノートの究極は自分を振り返ることが基本ですがさらに大切なことは「キーパーソン」を決めることだそうです。認知症の状態になった時、運命を望まないことを「エンディングノートに記載して終わり」ではなく、そんな状態になった時に専門医の医者に対峙してくれる方「キーパーソン」を見つけることが肝要とか。
人それぞれの結論の出し方がありますが、これからも、内覧会にお越しになる方の参考になればと自己研鑽を重ねてまいります。
以下は今日ご紹介した記事内容の一部です。
永代供養のデメリット:合祀されたらもう遺骨を取り出せない
上述したように、合祀をしてしまえば骨壺から遺骨を取り出し1ヶ所にまとめるのでどれが誰の遺骨かわからなくなります。つまり合祀後に改葬(お骨を他のお墓などへ移すこと)などは不可能になります。
永代供養のデメリット:お墓参りに物足りなさを感じる可能性がある
合祀墓に納骨してもお墓参りはできます。しかし、他の方も眠るお墓に手を合わせても一人の大切な故人に向き合っている気持ちになれず、物足りなさを感じてしまう人もいるでしょう。
納骨堂で永代供養は、ほとんどの場合、宗教宗派も問われません。寺院が運営する納骨堂であれば年に二回のお彼岸の季節などでは合同供養が行われますので、安心です。ただ、やはり火葬後すぐに遺骨を合祀してしまうのは、遺された家族にとって悲しい結果になりかねませんので、よく考えて合祀の時期を決めることがおすすめです。