【仏教ブログ】子供の日・一人子のように私をみられる阿弥陀仏について
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
5月5日は子供の日です。子供の日は、子供の成長を祝う日として各地でいろいろな行事が行われています。昔は、乳幼児の死亡率も高く、子供が大きくなるまで無事であるということは本当に喜ぶべきことでした。最近は、医学の発達もあり死亡率こそ低くなりましたが、少子化のため子供そのものがここ数十年減り続けています。ただ、子を思う親の気持ちは昔も今も変わりません。
そんな子供のことを思う親の気持ちを、仏様に譬えた言葉はいろいろあります。親鸞聖人の書かれた浄土和讃に以下のようなものがあります。
超日月光この身には
念仏三昧をしへしむ
十方の如来は衆生を
一子のごとく憐念す(浄土和讃114)
ここは、勢至菩薩について書かれた和讃の一首です。勢至菩薩とは智慧の菩薩といわれ、私たちに念仏の教えを伝えられる方とされています。親鸞聖人は、直接の師匠である法然聖人を勢至菩薩の化身と仰いでおられました。
和讃の大まかな意味は、「阿弥陀仏(超日月光)は勢至菩薩に念仏三昧を教えてくださいました。あらゆる仏の智慧や功徳を一身に集めておられる阿弥陀仏は、私を一人子のように憐れんでくださっています。」となります。
仏様と私というと、何だか随分遠い存在のように思う方も多いと思います。その理由の一つとしては、阿弥陀仏はあらゆる人を救いの対象としてされているので、私は多くの中の一人にすぎないと考えることがあります。
しかし、それは私がそのように思っているにすぎません。阿弥陀仏は、一人一人に「一子のごとく憐念」して下さっています。
「一子のごとく」というのは、昔のように兄弟が大勢いる家庭では、母一人に子供が4人5人という家も珍しくはありませんでした。実際に、子供が4人いると、親が子供に向ける眼差しも分散せざるをえません。それに対して、一人子というのは親はその子一人に集中します。
そのように阿弥陀仏は、私一人に目を向けて憐れに思って救いを差し出して下さっています。それが、南無阿弥陀仏の念仏となって私の口から称えられています。
親の目線で一人子を見るように、阿弥陀仏は私を見て救おうとされています。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。