【仏教ブログ】今年の大河ドラマ「どうする家康」から「厭離穢土 欣求浄土」について

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年のNHK大河ドラマは「どうする家康」です。

徳川家康と言えば、実は浄土真宗との関わりが深い人物です。今回の大河ドラマでも序盤に描かれるのは三河の一向一揆です。この三河の一向一揆は、現在安城市にある本證寺が中心となり、領主の家康と戦ったものです。永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)まで半年間続いたと言われています。

家康の家臣には浄土真宗の門徒が多く、一向一揆方に協力する者が多く有りました。一歩間違えれば、松平家(後の徳川家)は分裂し後の天下統一もなかったかもしれません。

当時の一向一揆で、一揆衆が旗印として掲げていたのが「厭離穢土 欣求浄土(えんりえど ごんぐじょうど)」です。これは、家康も旗印に掲げていました。

厭離穢土とは、穢れたこの世界を厭い離れることをいいます。

欣求浄土とは、浄土往生を心から喜んで願い求めることをいいます。

(徳川家康・姉川合戦図屏風より)

ここから分かることは、当時の一向一揆に参加していた浄土真宗の門徒の方は、どこに向かって生きているのかと言えば、浄土へ向かって生きていたということです。

私たちは、気がついたら人間として生まれ、ただ死に向かって生きていると感じる人も多いと思います。では、死んだらどうなるのかと考えると、考えても分からないし、死んだらは無になると思っている人もあります。ただ、生きて死んで、無になっていくのだけの人生であるならば、私たちは何のために生きているのか分かりません。

浄土真宗では、私たちは死ぬのではなく、浄土に往生するのだと教えられます。その浄土に往生する身に生きている間に救われるのが阿弥陀仏の救いにあうということです。

往生一定と定まったならば、この世の命が終わることも、浄土に往生させていただく有り難いご縁となります。また、どこに向かって生きているのか分からなかった生きるということも、浄土へ向かっての有り難い人生となります。生きる事も死ぬ事もどちらも有り難いことだと言える身に救われることが、親鸞聖人の教えられたことです。浄土へ往生すると仏となり、衆生済度の活動をするというのが、阿弥陀仏の本願で願われた事です。

欣求浄土と言える年になるといいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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