【仏教ブログ】令和の米騒動から阿弥陀仏の本願を考える その弐
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
昨年来の米の高騰は、令和の米騒動と言われています。
「どうしてこんなに高いのか」「なぜ値段が下がらないのか」「備蓄米で値段は下がるのか」と日々報道されています。これまで毎日口にしてきた米ですが、これだけ米の事を考えたことはなかったのではないでしょうか。
あって当たり前のように思っていたものが、手に入らないとなると人は驚きます。米の値段も、いつもそれほど変わらないと思っていたところに突然2倍となると日本中の関心事となりました。
今回の米騒動で、南無阿弥陀仏も同じようなものではないかと思いました。浄土真宗の人にとって、南無阿弥陀仏と念仏申すことは、人によっては当たり前のようになっています。また日々称えることがない人でも、葬式や法事となると口に南無阿弥陀仏と念仏を申されることと思います。
自分が生まれる前から相続されてきたこの南無阿弥陀仏の念仏は、日本人にとっての米のようなもので、生きていく上で欠かせないものです。
そして、米というのは八十八の手間がかかるといわれ、他の作物に比べて大変手間ひまのかかるものです。私たちが、日々米を食べることが出来るのも、生産者の方の大変な努力の結果です。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏が五劫の思惟と兆載永劫のご修行によって成就されたものですから、大変な手間ひまがかかっています。その大変なご苦労は、ひとえに私に南無阿弥陀仏と称えさせるためのものです。それは、米の生産者が、消費者に食べてもらう為に手間ひまをかけておられるのと似ています。
そのことを親鸞聖人の、正像末和讃にはこのように書かれています。
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり(正像末和讃)
阿弥陀仏が本願を建てられたそのいわれを尋ねますと、苦しみ悩む人々を見捨てることができないので、私を救う為に長い間の修行の功徳を私に与えることを第一として、大悲の本願を成就されました。
その本願が成就して私に与えられてるのが、この南無阿弥陀仏のお念仏です。この南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏が本願で、どうか私の名を称えてくださいと願われ、その願われた通りに私が称えるものです。
米のことで値段のことばかりに目が行きますが、米は生産者があって初めて私の口に入るものです。今後値段が安定しても、生産者の方々の苦労を忘れてはならないと思います。
南無阿弥陀仏も、なぜ私が称えることが出来るのかと考えれば、阿弥陀仏のご苦労があってのことです。いつでも、どこでも南無阿弥陀仏と称えるときは、阿弥陀仏が何を願われて私に称えよと願われているのかを考えるご縁になればと思います。

※上の画像は生成AIが考えた「令和のコメ騒動の中、人口減少も相まって農業従事者が減少し、耕作放棄地が増加している現状を憂う阿弥陀如来」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。