【仏教ブログ】母の日・浄土真宗で言われる「悲母」について
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
5月の第2日曜日は母の日です。2024年は5月12日になります。この日は、母親への感謝と敬愛を表す日として世界中で国によって日付は異なりますが祝われています。
赤いカーネーションは、生きている母への感謝、白いカーネーションは亡くなった母への感謝を表すとされています。今日では、親子関係も様々です。実際の母親に複雑な思いを持っている人もあると思います。
浄土真宗では、阿弥陀仏を母に例えて言われることがあります。これを言われたのは、親鸞聖人が七高僧として数えられている源信僧都です。
我、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。(往生要集)
阿弥陀仏の事を「極大慈悲母」と呼ばれています。大慈悲の極まりの母と言うのですから、源信僧都にとって母親はとても大切な存在だったようです。
源信僧都で言えば、9歳で比叡山に入られているので、それからは母親とは離れ離れとなっています。その生涯で言えばわずかの間しか生活を共にしてこなかった母親のことを、いつも気にかけておられたことと思います。
ただ、このように阿弥陀仏を「極大慈悲母」と言われるのは、私がそのように思っていると言う事ではなく、阿弥陀仏が私を一人子のように見ておられると言う事を表されています。
先の文章の直前にはこのように書かれています。
慈眼をもって衆生を視そなわすこと、平等にして一子の如し。(同)
阿弥陀仏が慈悲の眼をもって、我々をご覧になっていることは、平等にして一人子を見るようであると言われています。
自分自身が、兄弟姉妹がいる人や、実際にお子さんが二人以上いる人は経験のあることですが、人間の目からは我が子といっても全く平等に接するのはとても難しいことです。
阿弥陀仏は、平等にして一子の如く見られると言う事は、他の人と比べたり差別を為れないと言う事です。他の人より頑張っているとかいないとか、努力してるとかしていないとか、そういう事で早く救ってくださるとか後回しにされるということはありません。
阿弥陀仏から言えば、私というのは「大勢の中の一人」では有りません。「平等にして一子の如し」ですから、見ていなかったり見失ったりと言う事は有りません。常に私に呼びかけ働き続けて下さる「極大慈悲母」が阿弥陀仏です。
母の日は、実の母に感謝する日ですが、母を通して阿弥陀仏を念ずる日でもあります。
以下の画像は、画像生成AIが考えた、「あらゆる人を平等に一人の自らの子供のように見ている阿弥陀仏の姿」です。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。