桜の花と仏教 2019年04月06日 21:04

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

4月と言えば桜の季節です。

日本人は特に、桜の花が大好きで各地で花見が行われています。また桜の名所にはたくさんの人が桜を見に出かけています。実はこの仏教と桜というのはわりと深い関係があります。

それといいますのは、桜はパッと咲いてパッと散る、いわゆる無常の象徴として語られているからです。

日本の有名な僧侶が詠んだ歌の中で有名なのは、江戸時代の良寛(曹洞宗)の歌です。

散る桜  残る桜も  散る桜

花見シーズンも少し遅れると、桜は満開からどんどんと散っていきます。こちらの桜はまだ残っていると思っても、その桜もまた散っていく桜なのです。この世に散らない桜はないように、変わらないものは何もない・死なない人も一人もいないという歌です。

無常というのは、常がないと書きます。いつまでも変わらないもの、いわゆる常なるものはないというお釈迦様の教えから出てきた言葉です。これには例外がないので諸行は無常なりと言われます。

春というのは、卒業、入学、就職、転勤などで今までいた環境から大きく変わる人も多い季節です。勤めていた会社を定年となり、今は自由言う方も多いかもしれません。

その様にいつまでも、この日が続いていくと思っていたものも、いつか終わりが来るというのを知らされるのがこの春という季節です。

それを象徴するかのように日本中で咲いているのが、桜の花です。しかし、桜に象徴される「散る」ということは、やはり人の命のことです。「この私」というものも、昨日の桜が今日にも散ってしまうように、今日残った桜もやがて散ってしまうように、いつまでも変わらないものではありません。

お葬式の場面でも、葬儀の参列者もいつかは、自身の葬儀を誰かにしてもらうのは間違いのないことです。また、その自分の葬儀を執り行ってくれる人もまた必ず送られる側になります。

諸行は無常ですから、それを超えた世界を浄土真宗では、浄土と示されています。その浄土往生の道を聞いて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。