故人への感謝と共に歩む日々へ ~百か日・お盆・年忌法要のご案内~
前の章「お浄土に還られた故人を偲び、み教えに遇う日々 ~中陰のお勤め~」では、故人さまが阿弥陀さまのお力によってお浄土に往き生まれ仏となられたことを受け止め、ご逝去から四十九日(満中陰)、そして月参りというご縁を通して、遺された私たちが故人を偲び、仏法に触れる大切な「中陰(ちゅういん)」のお勤めについて、その深い意義と浄土真宗の教えに基づく心得をお伝えしてまいりました。
大切な方との突然の別れは、筆舌に尽くしがたい深い悲しみと寂しさをもたらします。しかし、その大きな悲しみの中にあっても、故人さまが遺してくださったかけがえのない「仏縁」は、私たちを阿弥陀さまの温かいみ教えへと導き、混迷する現代社会を生き抜く上での確かな心の支えや、人生を豊かにする智慧を与えてくださる、計り知れないほどの大きな力となるのです。
この「故人への感謝と共に歩む日々へ ~百か日・お盆・年忌法要のご案内~」と題した本章では、中陰のお勤めを終え、さらに時を重ねていく中で営まれる「百か日法要」「お盆(盂蘭盆会)」、そして「年忌法要」といった、節目ごとのお勤めについて、その一つひとつの意味と意義、そして浄土真宗本願寺派の教えに基づく正しい理解と心の持ち方を、皆様と共に詳しく学んでまいります。
時の経過と感謝の深化 – 悲しみから感謝へ、そして生きる力へ
愛する方を亡くした直後は、どうしても悲しみや喪失感に心が覆われがちです。しかし、不思議なもので、時間の経過と共に、その悲しみの質は少しずつ変化していきます。故人さまと共に過ごした日々の温かい思い出や、その方が私たちに与えてくださった数えきれないほどの愛情が、より鮮明に、そしてより深く感じられるようになってくるのではないでしょうか。
その気づきは、深い悲しみを乗り越える力となると同時に、故人さまへの尽きない「感謝」の念へと私たちの心を昇華させてくれます。本章でご紹介する仏事は、その時々の私たちの心境に優しく寄り添い、故人さまへの感謝の気持ちを新たにし、阿弥陀さまのみ教えへの理解を一層深めるための、大切な「心の節目」なのです。
浄土真宗における法要の本質 – 仏縁を喜び、仏恩に報いる営み
改めて、浄土真宗における法要の本質を確認します。これらの法要は、故人の成仏を願う「追善供養」ではございません。すでに仏となられた故人さまが遺してくださった尊い「仏縁」を喜び、そのご縁をとおして、今を生きる私たち自身が阿弥陀さまの教えを聞かせていただく「仏法聴聞」の場であり、阿弥陀さまへのご恩に感謝申し上げる「報恩感謝」の営みです。
特に「お盆」は、ご先祖の霊をお迎えするというイメージが強いですが、浄土真宗では、故人を縁として私たちが仏法に遇い、多くのいのちの繋がりの中で生かされていることへの感謝を新たにする大切な機会と捉えます。
本章でご紹介する主な法要
- 百か日法要(卒哭忌): ご逝去から百カ日目。深い悲しみに一つの区切りをつけ、新たな一歩を踏み出すための機縁です。
- お盆(盂蘭盆会): 毎年夏に迎える、いのちの繋がりに感謝し、共に仏法を聞かせていただく大切な期間です。
- 年忌法要: 一周忌、三回忌…と、定められた年のご命日にお勤めする法要です。故人を偲び、繰り返し仏法に触れることを通して、み教えへの理解を深め、お念仏申す生活の喜びを味わう、私たち自身の成長のための大切な機会です。
光顔寺が大切にする仏法聴聞のご縁と、皆様へのお願い
光顔寺では、これらの大切な仏事を、皆様のお心に深く寄り添いながらお勤めさせていただきます。僧侶がお取次ぎする法話が、皆様の人生の確かな指針となり、生きる勇気と智慧を与えてくれる、かけがえのない精神的な糧となるよう、常に心がけております。
【信頼で未来を繋ぐために:光顔寺の姿勢】
人口減少という厳しい社会状況の中、お寺を護持し、僧侶が研鑽を積んで皆様に寄り添う法務のレベルを維持・向上させていくためには、皆様からの温かいお支えが欠かせません。その思いから、光顔寺ではご法事のご相談をいただいた際に、お寺の護持運営を支える上で基本となるお心遣いの額を、目安として事前にお伝えしております。
これは、皆様が「一体いくらお包みすれば…」というご不安から解放され、心から安らかに法要に臨んでいただくための、私たちの責任感と誠実さの表れです。もちろん、これは決して「料金」ではございません。もし経済的なご事情などで、この目安通りにお包みすることが難しい場合は、どうか一切ご心配なさらず、ご遠慮なくその旨を私たち僧侶に直接ご相談ください。
皆様からお預かりするお布施は、この尊いみ教えと、それを学び実践する場であるお寺を護持し、未来へと継承していくための、非常に意義深い精神的な営みです。金額の多寡によって阿弥陀さまのお慈悲が変わることは絶対にないという大前提のもと、皆様と共にこの地域の仏法を絶やすことなく次代へ繋いでいく、その趣旨にご理解を賜われれば幸いです。
また、法要を機にご遺骨のあり方をお考えになる方へ、光顔寺の納骨堂は、永代にわたってみ教えが響き渡る、心安らぐ場所としてお選びいただいております。
結びと次への誘い
この章が、皆様にとって、故人さまへの感謝の念が時と共にどのように深まり、それが私たち自身の人生をいかに温かく照らし、豊かに育んでくれるのかを、改めて感じていただくための一助となれば幸いです。
それでは、まず最初の節目である、「悲しみを越えて新たな一歩 ~百か日法要(卒哭忌)~」について、次のページで詳しく見てまいりましょう。


