節目節目に仏法を聴く ~年忌法要~
一周忌、三回忌、七回忌…。時を重ねるごとに迎える年忌法要は、故人への感謝を深めると共に、私たちが仏法に繰り返し遇い、生きる智慧をいただく大切な節目です。その意義と心のあり方をお伝えします。
四十九日という大きな区切りを終え、月参りという穏やかなリズムで故人さまを偲ぶ日々が始まると、私たちはやがて、**「年忌法要(ねんきほうよう)」**という、より大きな節目を迎えることになります。
年忌法要とは、一周忌、三回忌、七回忌…というように、定められた年のご命日に執り行われる、故人さまを偲ぶための、大変大切な法要です。
まず、最も重要なこととして、浄土真宗における年忌法要は、故人の成仏を願う「追善供養」ではございません。故人さまは、すでに阿弥陀さまのお力によって、お浄土で安らかな仏さまとなられています。 では、なぜ私たちは、時を重ねて、繰り返し年忌法要をお勤めするのでしょうか。
それは、年忌法要が、故人さまが、そのいのちを通して、私たちに仏法を聴聞(ちょうもん)させてくださる、生涯をかけた尊い「心の学びの場」だからです。 ご葬儀が、悲しみの中で「いのちの終わり」という現実を突きつけられる、衝撃的な出遇いだとすれば、年忌法要は、その出遇いを、私たちの人生の中にゆっくりと、そして深く根付かせていくための、穏やかで、継続的な学びのプロセスです。
一周忌の時には、まだ癒えぬ悲しみの中で。七回忌を迎える頃には、少し落ち着いて。そして、三十三回忌、五十回忌と時を重ねる中で、私たち自身の人生経験も深まり、同じお念仏の教えが、その時々の自分自身の課題と共に、全く新しい響きをもって心に届くのです。 年忌法要を大切にお勤めし続けることは、故人との思い出を、単なる過去の記憶ではなく、私たちの未来を照らす智慧の光へと変えていく、かけがえのない営みと言えるでしょう。
それでは、次のページで、それぞれの年忌法要が持つ具体的な意味と、その背景にある仏教の歴史について、詳しく見てまいりましょう。


