故人を偲び仏法に触れるお盆 ~初盆・盂蘭盆会~
夏に迎える「お盆」。浄土真宗では、ご先祖の霊をお迎えするのではなく、故人を縁として仏法に遇い、多くのいのちの繋がりへの感謝を新たにする大切な法要と捉えます。その本当の意味をお伝えします。
毎年夏になると、日本中の多くの家庭で「お盆」の準備が始まります。提灯を飾り、お墓参りをし、久しぶりに家族親族が集まる。お盆は、私たちにとって最も身近で、どこか懐かしい、古くから大切にされてきた国民的な宗教行事と言えるでしょう。
一般的に、お盆は「ご先祖さまの霊が、年に一度、我が家へ帰ってくる期間」と広く信じられています。しかし、私たち浄土真宗では、その捉え方が少し異なります。
【浄土真宗のお盆 – 「おかえりなさい」ではなく「ありがとう」】
浄土真宗では、阿弥陀さまの本願を信じ、お念仏申す人は、いのち終えると同時にお浄土へ往き生まれ、仏さまとなると教えられます。故人さまは、迷いの世界をさまよったり、年に一度だけ帰ってきたりする存在ではなく、常に阿弥陀さまの光明に包まれ、仏として、今度は私たちを真実の道へと導き、見守ってくださるのです(還相回向)。
ですから、浄土真宗のお盆は、ご先祖の霊に「おかえりなさい」とお迎えする行事ではありません。 そうではなく、故人をはじめ、数限りないご先祖の方々がいらっしゃったからこそ、この私が今ここに生かされ、そして仏法に出遇うことができたという、多くのいのちの繋がりに、心からの「ありがとう」を申し上げる、大切な報恩感謝の仏事なのです。
【お盆の起源 – 『仏説盂蘭盆経』の教え】
お盆の起源は、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんぎょう)』というお経に説かれる、お釈迦さまのお弟子、目連尊者(もくれんそんじゃ)の物語に由来します。目連尊者が、餓鬼道(がきどう)という飢えと渇きの世界で苦しむ亡き母を救うため、お釈迦さまの教えに従い、修行僧たちにご馳走を供養したところ、その功徳によって母が救われた、というお話です。
この物語を、浄土真宗では、「親を思う子の深い愛情」と、「自らの力ではどうすることもできない迷いの世界の苦しみ(餓鬼道)」、そして「その苦しみから私たちを救うことができるのは、仏法だけである」という、私たち自身の救いの物語として受け止めさせていただきます。
お盆は、故人を縁として、この仏法の尊さに改めて触れさせていただく、私たちにとってかけがえのない仏法聴聞(ぶっぽうちょうもん)の機会です。特に、大切な方が亡くなられてから初めて迎えるお盆を「初盆(はつぼん)・新盆(にいぼん)」と呼び、より丁寧に、そして深く故人を偲び、み教えに耳を傾ける大切なご縁といたします。
この夏、故人さまが遺してくださった尊いご縁をいただき、ご家族皆様で、いのちの繋がりと阿弥陀さまのお慈悲に、静かに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
それでは、次の「【初盆(新盆)とは】初めて迎えるお盆、故人を縁として仏法に深く触れる」のページで、初盆のより具体的なお勤めのあり方について、見てまいりましょう。


