月々の追慕 ~初月忌と月参り~
四十九日を終え、初めて迎える月命日「初月忌」と、それに続く毎月の「月参り」。故人さまを偲ぶ思いを、日々の暮らしの中で仏法に触れる大切な習慣へと繋げていくことの意義をお伝えします。
四十九日(満中陰)法要という大きな節目を終え、ご遺族の生活は、社会的には一つの区切りを迎えます。しかし、心の内の悲しみや寂しさは、それで終わりになるわけではありません。むしろ、慌ただしかった儀式がすべて終わり、静かな日常が戻ってきた時にこそ、故人のいない現実をより深く感じ、心の虚しさが募る時期かもしれません。
そんなご遺族の心に、静かに、そして継続的に寄り添うのが、「初月忌(しょがっき)」と、それに続く「月参り(つきまいり)」というお勤めです。
「初月忌」とは、故人がいのち終えられてから、初めて迎える月命日のことです。そして「月参り」とは、その後も毎月巡ってくる月命日に、僧侶がご自宅のお仏壇へお参りし、ご家族とご一緒にお勤めをさせていただく、古くから大切にされてきた習わしです。
七日ごとの法要という、いわば集中的に仏法に触れる期間であった中陰を終え、これからは月一度という穏やかなリズムで、故人を偲び、仏法を聴聞する生活が始まります。それは、故人の死を縁として出遇わせていただいた阿弥陀さまの教えとのご縁が、日々の忙しさの中で途切れてしまわないようにするための、大切な「心の習慣」とも言えるでしょう。
もちろん、これも故人のための追善供養ではありません。故人はすでにお浄土にいらっしゃるのですから。 月参りは、遺された私たちが、月に一度、意識して立ち止まるための時間です。お仏壇の前で静かに手を合わせ、僧侶と共に聖典を拝読し、法話に耳を傾ける。そのひとときを通して、私たちは故人との思い出を語り合い、感謝の思いを新たにします。そして、阿弥陀さまの変わることのないお慈悲に触れることで、日々の生活の中でささくれだった心が癒され、また前を向いて生きていくための、穏やかで確かな力をいただくのです。
この月々の「つどい」は、故人を偲ぶ追慕の思いを、私たちの人生を豊かにする仏法聴聞の喜びへと、少しずつ、しかし確実に繋ぎ変えていく、かけがえのないご縁となるのです。
それでは、次の「【初月忌法要】最初の月命日、故人を偲び仏法に心を寄せる」のページで、その最初の節目である初月忌の意義について、詳しく見てまいりましょう。


