
【初月忌法要】最初の月命日、故人を偲び仏法に心を寄せる
故人さまが亡くなられて初めて迎える月命日(初月忌)の法要について、その意味と、故人を偲び仏法に心を寄せる心のあり方をお伝えします。
大切な方がこの世のいのちを終えられてから初めて迎える月命日にお勤めするのが「初月忌(しょがっき)法要」です。ご逝去からの慌ただしさが少し落ち着き、故人のいない現実をより深く感じ、悲しみや寂しさが募る時期かもしれません。
この初月忌法要は、そのような深い悲しみの中にあるご遺族のお気持ちに寄り添い、故人を静かに偲び、そのご縁を通して阿弥陀さまの仏法に心を寄せる大切な機会です。故人はすでに阿弥陀さまのお力でお浄土へ往き生まれ仏となられています。ですからこの法要は、故人のためというよりも、遺された私たちがまず自分自身の姿と、私たちに向けられた阿弥陀さまの深い願いに気づかせていただくためのものなのです。
お勤めや法話を通して、私たちは仏さまの清らかな教えに照らされ、いかに自分たちが日々の欲望(煩悩)に振り回され、自己中心的に行動しているかという「人間の業(ごう)」の深さに気づかされます。このような私たち自身の力(自力)では、到底迷いの苦しみから逃れることはできない存在(凡夫)であることを、厳しくも温かく知らされるのです。
しかし浄土真宗の教えは、そこで私たちを絶望させません。むしろ、そのような弱い私たち凡夫をこそ必ず救い取りたいと立ち上がってくださったのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまは、法蔵菩薩としてご修行されていた遠い昔、私たちのような者が必ず救われる仏の国(お浄土)を建立するために、想像を絶する長い時間(兆載永劫)ご苦労を重ねられ、四十八の広大なご本願を成就され、阿弥陀仏となられました。
その結果、私たちはただ阿弥陀さまの「必ず救う」というお呼び声を疑いなく聞き、そのお救いを信じ受け入れさせていただく「信心」をいただく身となります。この「信心」をいただいた者は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すだけで、必ずお浄土へ往き生まれ仏となる道(往生成仏)が、すでに開かれているのです。この「他力」のお救いこそ、自力の修行を必要とする他の教えとは異なる、浄土真宗の特色です。
この初月忌法要は、故人が結んでくださったご縁を通して、阿弥陀さまの計り知れないご苦労と本願成就の物語に深く触れ、その限りないお慈悲に感謝申し上げる大切なひとときです。この信心をいただくとき、私たちの心にはこれまで感じたことのない大きな安心と生きる喜び(信心歓喜)が静かに芽生えてくるでしょう。そして、このみ教えの素晴らしさをご家族や身近な方々と分かち合い、伝えていきたい(自信教人信)という思いが自然と育まれていく第一歩となるのです。法話を聞き、この深遠な智慧に触れることは、人生をより豊かに生きるための、かけがえのない精神的な糧となります。光顔寺ではこの初月忌法要を、皆様の心に寄り添いながら鄭重にお勤めさせていただきます。
