
【六七日法要】四十二日目の感謝、人生の尊さをかみしめ、いのちの本当のゆくえを思う
六七日法要の意味と、人生の尊さを深くかみしめ、自らの「いのちの本当のゆくえ」について静かに思うことの大切さをお伝えします。
故人がこの世のいのちを終えられてから六週間目、42日目にあたるこの「六七日(むなのか)法要」では、故人を偲ぶ私たちの思いを改めて心に深く刻みます。十王信仰では、この頃は変成王による、故人がどの世界に生まれ変わるかの最終的な判断が下される時期とされることもありますが、繰り返しになりますが、浄土真宗では、阿弥陀さまの「必ず救う」という本願を信じる者は、すでに救いの中にあります。
この法要は、仏さまの教えを聞くことを通して、これまでの自分自身の生き方やこれからの人生について静かに思いを巡らす、大切なご縁です。お念仏と共に歩む人生が、どれほど穏やかで確かな喜びと安心感に満たされたものであるのか、その尊さを改めて確認させていただきます。
そして、自分自身の「いのちの終わりにどこへ往き、どうすれば本当の安らぎを得られるのか」という「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」について深く心にかけ、その解決が阿弥陀さまの本願にしかないことを、あらためて聞かせていただくのです。この法要という尊いご縁をいただくとき、その時間は心静かに故人を偲び、自らの生き方を見つめる大切なひとときとなり、日々の判断や行動に深い洞察と落ち着きをもたらしてくれるでしょう。
