
【初七日法要】七日目のつどい、み教えに導かれ、いのちの本当のゆくえに目覚める
故人さまが亡くなられてから七日目に行う初七日法要。この法要が、私たちがみ教えに導かれ、「いのちの本当のゆくえ」に目覚めるための大切な機会であることをお伝えします。
「初七日法要」は、故人がこの世のいのちを終えられてからちょうど七日目にあたる日に行う、最初の大きな節目となる大切な法要です。「仮初七日法要」を先に営んだ場合でも、この本来の日に改めて法要を行い故人を偲び、仏さまの教えに真摯に耳を傾けることは、故人への変わらぬ敬愛のしるしとなり、また私たちの心を整え前を向く上で意義深いこととされています。
一般に、仏教のいくつかの教えでは、いのち終えた後、七日ごとに審判(十王の裁きなど)を受け、その結果によって次の行き先が決まるとされ、故人が善い処へ導かれるようにと遺族が追善供養を行う習慣(例えば、初七日は秦広王(しんこうおう)の審判とされる)があります。しかし、浄土真宗ではこのような考え方はいたしません。 阿弥陀さまの「必ず救う」というお約束(本願)を信じ「南無阿弥陀仏」のお念仏を申す人は、いのち終えると同時に阿弥陀さまのお力で光り輝く仏さまの世界(西方極楽浄土)へ往き生まれ仏となるからです。死後にさまよったり審判を受けたり、私たちの供養でその行き先が変わることはありません。この阿弥陀さまの絶対的なお救いこそが、他の教えとは異なる、浄土真宗が私たちに与えてくれる究極の安心です。
ではなぜこの法要を大切にお勤めするのでしょうか。それは故人が残してくださったご縁で、遺された私たちが改めて仏さまの教えに触れ、阿弥陀さまの限りないお慈悲と温かいお育てをいただくためです。故人が身をもって示された「いのちの尊さ」と「無常の理」を心に刻み、これからの日々を故人への感謝と共に、お念仏申す身として大切に生きていくことをあらためて心に深く味わい、自分自身の「いのちの終わりにどこへ往き、どうすれば本当の安らぎを得られるのか」という「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」について深く思いを致す、かけがえのない機会となるのです。
この法要を大切にお勤めさせていただくとき、そのご縁が私たちの心の支えとなり、真の安心をいただく大切な道しるべとなります。お仕事などのご都合で毎週お参りや法要をお勤めすることが難しい場合でも、故人を偲ぶお気持ちを大切にし、ご都合のつく折にはぜひお仏壇に手を合わせお念仏をお称えください。また、私たち光顔寺では皆様のご事情に合わせた形で故人を偲び仏法に触れていただくためのお手伝いをさせていただきたいと考えておりますので、どうぞお気軽にご相談ください。
