み教えに耳を澄ます ~お通夜のお勤め(通夜勤行)~
前の章では、「故人さまと共に過ごす夜 ~お通夜のお勤めと大切な心得~」と題し、お通夜という時間が、故人さまを偲び、私たち自身のいのちを見つめ、そして阿弥陀さまの温かいみ教えに触れるための、かけがえのないひとときであることをお伝えいたしました。そこでは、外面的な形式に囚われることなく、故人への感謝の思いを胸に、仏法に真摯に向き合う心の大切さについてお話しさせていただきました。
さて、この「み教えに耳を澄ます」と題した章では、お通夜の中心となる儀式である「通夜勤行(つやごんぎょう)」に焦点を当て、その具体的な内容や流れ、そしてそれぞれの行いに込められた浄土真宗の深い意味を、できる限りわかりやすく紐解いてまいります。これまで仏教やお寺の儀式にご縁が薄かった方、あるいは「お勤めでは何をするのだろう?」「お焼香はどのようにすればいいの?」といった素朴な疑問をお持ちの方にも、ご不安なく、そして心静かにこの大切な儀式に臨んでいただけるよう、一つひとつ丁寧にご説明いたします。
お通夜は、ただ故人さまのそばにいるというだけでなく、阿弥陀さまの智慧と慈悲の光が満ちる、厳粛でありながらも心温まる「仏事(ぶつじ)」、つまり仏さまに関わる大切な行いです。それは、まるで夜空に輝く星々が私たちに進むべき道を示してくれるように、あるいは、ここ富山県の砺波市などで見られる美しい散居村の家々の灯りが、夜の闇の中に温かな安心と穏やかさをもたらすように、私たちの心の闇をそっと照らし、これから進むべき道を穏やかに示してくれる、そのような時間なのです。
通夜勤行とは? – 故人と共に、阿弥陀さまの教えに包まれるひととき
「通夜勤行」と申しますと、何か特別な、あるいは難しい儀式のように感じられるかもしれません。しかし、どうぞ肩の力を抜いて、ゆったりとしたお気持ちでお読みください。通夜勤行は、決して堅苦しい決まり事の連続ではなく、故人さまと共に、阿弥陀さまの限りないお慈悲の教えに静かに耳を傾け、その温かさに優しく包まれる、穏やかで尊い時間なのです。
前の章でも触れましたが、私たち浄土真宗では、阿弥陀さまを信じ、お念仏申す人は、いのち終えると同時に、ただちに阿弥陀さまのお浄土へ往き生まれ、仏となると教えていただきます。ですから、通夜勤行は、故人さまがどこか暗い場所で迷っておられるのを救うためであるとか、より良い世界へ行けるようにと私たちが何か特別な行いをする、というものではございません。故人さまはすでに、阿弥陀さまの完全な救いの光明のなかに安らかにおられるのです。
では、なぜお勤めをするのでしょうか。それは、遺された私たちが、まず故人さまの生前のご恩に深く感謝し、その温かいお人柄や数々の思い出を心に刻み、敬虔に偲ぶためです。そして何よりも、この上ない深い悲しみというご縁をいただいた私たちが、阿弥陀さまの真実のみ教えに静かに耳を傾け、無常の世を生きる私たち自身の「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」について深く思いを致し、確かな心の安らぎと、これからの人生を力強く生きていくための智慧をいただく、かけがえのない機会となるからです。
通夜勤行の主な内容とその意味 – み教えをいただくための「お作法」
通夜勤行は、一般的に僧侶が中心となって進められますが、ご参列の皆様にもご一緒にしていただきたい大切な行いがいくつかございます。それぞれの意味を少しでもご理解いただくことで、より深く、そして心穏やかに勤行に臨んでいただけることでしょう。
- お勤め(聖典の拝読) – 仏さまの徳を讃え、み教えに触れる 僧侶が、お仏壇のご本尊(阿弥陀如来さま)の前で、浄土真宗で大切にされる聖典を厳かに拝読し、お勤めをいたします。これは、親鸞聖人のお言葉である「正信偈(しょうしんげ)」に節をつけてお唱えし、続けて同じく親鸞聖人の作られた「ご和讃(わさん)」を数首拝読することが一般的です。また、お釈迦さまが阿弥陀さまの世界(お浄土)についてお説きになった「仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)」をお読みし、お念仏とご和讃をお称えする場合もございます。さらに、例えばかつて江戸と呼ばれた東京都心など、お念仏のみ教えを大切にされた徳川将軍家のお膝元であった地域や、伝統を特に重んじる一部の寺院では、古式に則り、浄土真宗の七高僧のお一人でもある中国浄土教の善導大師(ぜんどうだいし)がお作りになった「往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)」という偈文(げもん:仏さまの徳や教えを讃える詩句)をお勤めすることもあります。 これらの聖典は、いずれも阿弥陀さまの広大無辺なるお慈悲や、お浄土の清らかなありさま、そして私たち凡夫が確実に救われていく道筋を明らかにしてくださった、大変尊いお言葉です。私たちは、このお勤めを通して、仏さまの偉大なお徳を讃え、その深いみ教えを改めて心にいただき、阿弥陀さまのお慈悲に深く感謝申し上げるのです。 聖典の言葉の一つひとつをすぐに理解することは難しいかもしれません。しかし、全くご心配はいりません。その厳かで、どこか懐かしいような響きに静かに耳を傾け、心を落ち着けるだけでも、不思議と心が洗われるような、穏やかな感覚を覚えるかもしれません。それは、仏さまの智慧と慈悲が、言葉の意味を超えて、私たちの心に直接届いている証なのかもしれません。大切なのは、このお勤めの時間を、故人さまと共に過ごす阿弥陀さまのみ教えに触れる尊いご縁として大切に受け止める心持ちです。
- お焼香(おしょうこう) – 香りとともに敬いの心を捧げる お勤めの途中や後で、ご参列の皆様に順番にお焼香をしていただきます。お焼香は、清浄な香を薫じて仏法僧の三宝(さんぼう:仏さまと、その教えと、教えを信じ実践する人々の集い)に供え、故人さまを敬い、阿弥陀さまに感謝の心を捧げる行いです。 浄土真宗本願寺派のお焼香の作法は、香をつまんで香炉にくべる回数が定められていたり(通常は香を1回つまみ、そのまま香炉にくべます)、香を額に押し頂いたりしないといった特徴がありますが、最も大切なのは、形に過度に囚われることよりも、故人を敬い、仏さまを敬う真摯な心です。作法に不安がある場合は、事前に僧侶や周囲の方にお尋ねいただければ丁寧にお教えいたしますので、ご安心ください。
- 法話(ほうわ) – 心に届く、仏さまからのメッセージ お勤め(聖典の拝読や焼香など)の後には、多くの場合、僧侶から「法話」がございます。法話とは、仏さまの教え、特に私たち浄土真宗の教えを、皆様の日常生活や、今まさに直面しておられる深い悲しみや様々な苦しみと結びつけながら、できる限りわかりやすくお伝えするお話のことです。 お釈迦さまや親鸞聖人のお言葉、いのちの尊さや無常の道理、悲しみとの向き合い方、そして阿弥陀さまの限りないお慈悲の救いについてなど、その時々の状況やご縁に応じて、皆様の心に寄り添うお話をさせていただきます。この法話を通して、私たちは**現当二益(げんとうにやく)**という、今この時を生きる上での心の安らぎと、未来にお浄土へ往き生まれることの確かな希望という、二つの大きな恵みをいただくことができるのです。どうぞ、心を柔らかにして、阿弥陀さまからの大切なメッセージとしてお聞きください。
- お念仏(おねんぶつ) – 「南無阿弥陀仏」をお称えする 勤行の様々な場面で、皆様とご一緒に「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ・なむあみだぶつ)」とお念仏をお称えします。この「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀さまに「おまかせします」とすべてをゆだね、また、そのお救いに対する深い感謝を表す、私たち浄土真宗門徒にとって最も大切な言葉です。難しい意味を考えるよりも、ただ素直に声に出してお称えすることで、阿弥陀さまのお慈悲をより深く感じ、故人さまと共に、そしてご参列の皆様と共に、その温かい光に優しく包まれるような、大きな安心感をいただくことができます。
み教えに耳を澄ますことの意義 – さまざまな想いを抱える皆様へ
お通夜の夜、故人さまを囲み、共に「み教えに耳を澄ます」という時間は、私たち一人ひとりにとって、かけがえのない意義を持っています。
深い悲しみに沈んでおられる方にとっては、阿弥陀さまの教えが、そのどうしようもない苦しみを和らげ、故人さまは決して虚しく消え去ったのではなく、光り輝くお浄土で仏さまとして安らかにおられるのだという確信を与え、心の支えとなってくれるでしょう。
また、これまであまり仏教にご縁がなかった方や、人生の節目を迎え、これからの生き方について深く考えておられる方にとっては、この非日常的な空間で仏さまの智慧の言葉に触れることが、日常の喧騒の中では得られない深い洞察や、ご自身の内面と向き合う静かな時間を与え、精神的な豊かさや自己成長のきっかけとなるかもしれません。
もし、これまでの宗教的な体験の中で、心の平安ではなく、かえって厳しい教えや条件、あるいは何らかの義務感や金銭的な負担に苦しみ、疑問や不信感を抱いてこられた方がいらっしゃるとすれば、どうぞ先入観を一旦横に置いて、親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗本願寺派の、ありのままの私たちをそのまま包み込んでくださる阿弥陀さまの温かいお慈悲の教えに、静かに触れてみてください。「何かをしなければ救われない」のではなく、「すでに阿弥陀さまの救いの真っ只中にいる」という、絶対的な安心の教えです。
そして、浄土真宗の葬儀やお通夜の法話を通して、これまで断片的に耳にしてきたかもしれない「煩悩(ぼんのう)」や「悪人正機(あくにんしょうき)」、「往生(おうじょう)」や「成仏(じょうぶつ)」といった言葉が、単なる難しい専門用語ではなく、ご自身の人生や故人さまのいのちと深く結びついた、生きた言葉として心に響いてくるかもしれません。
例えば、大阪市のような大都市と、ここ富山県や石川県のような地域とでは、お通夜の風習や葬儀のあり方に違いが見られることもあるでしょう。しかし、故人を大切に想う心、そして仏法を尊び、そこに心の拠り所を見出そうとする人々の願いは、いつの時代も、どの地域でも共通なのではないでしょうか。たとえ、葬儀費用の見積もりなど、現実的な問題に直面する中にあっても、このお通夜という時間の持つ精神的な価値や、故人さまとの最後の夜を心静かに過ごすことの意義を見失わないでいただきたいと願います。その後のご供養に関しても、例えば永代供養という形もございますし、光顔寺では皆様のご事情に合わせた納骨堂のご相談も承っております。
おわりに – 心の準備を整え、お勤めへ
この「み教えに耳を澄ます ~お通夜のお勤め(通夜勤行)~」の章では、通夜勤行の具体的な内容や、そこに込められた浄土真宗の心について、さらに詳しく掘り下げてまいります。この情報が、皆様にとって、お通夜の時間をより深く、そして心穏やかにお過ごしいただくための心の準備として、少しでもお役に立てれば幸いです。
それでは、次の「【通夜勤行の意義】故人と共に過ごす最後の夜、仏法を聴聞する尊さ」のページで、お通夜のお勤めが持つ、より深い意味について、共に学んでまいりましょう。