はじめに ※全般的なご留意点として

この解説文では、浄土真宗の教えをできる限り分かりやすくお伝えすることを心がけております。大切な方を亡くされた悲しみは、言葉では言い尽くせないほど深く、これからどうすればよいのか、戸惑いや不安を感じていらっしゃる方も多いことでしょう。また、人生の様々な節目を迎えられ、これまでの歩みを振り返り、これからの日々をより心豊かに、そして穏やかに過ごしたいと願われる方々もいらっしゃるかと存じます。そのような時に、このささやかな解説が、皆様の心にそっと寄り添い、確かな「道しるべ」となれば幸いです。

仏教には多くの宗派があり、それぞれに尊い教えがございます。例えば、厳しい修行を積み重ねることで自らの力で悟りを目指す道(自力聖道門)や、様々な仏さまや菩薩さまのご加護によって困難を乗り越えようとする教えなど、そのあり方は多様です。また、私たちの日常にも、様々な形で仏教文化や、時には他の宗教や民間信仰に由来する慣習が息づいています。

その中で、私たち浄土真宗本願寺派は、親鸞聖人が明らかにしてくださった、阿弥陀如来という仏さまの「すべての人を、ありのままの姿で必ず救う」という広大なお慈悲の教え(他力本願)を何よりも大切にいたします。それは、どのような人生を歩んでこられた方であっても、どのような悩みを抱える方であっても、阿弥陀さまの側から私たちに差し向けられた救いの手の中に、すでに摂め取られているのだという、絶対的な安心をいただく道です。ですから、浄土真宗では、何かを願ってそれを成就させるための「祈り」や、特定の日に善い行いを積むことで故人の状態が良くなるといった追善供養の考え方はいたしません。阿弥陀さまの私たちを救うという願いを聞き、それにすべてをおまかせする「信心」一つで、誰でも等しくお浄土へ往き生まれ仏となることができると教えられます。

また、仏教の基本的な立場として、そして浄土真宗の教えにおいても、「魂」や「霊」といった言葉は用いません。私たちは、一人ひとりの「いのち」そのものや、故人が生きてこられた中で培われた「お徳」や「お人柄」を、かけがえのないものとして大切にいたします。

これらの言葉遣いや考え方にもご留意いただきながら、この解説文をお読みいただければ幸いです。各法要や仏事は、故人を偲び、そのご恩に感謝すると共に、遺された私たちが阿弥陀さまのみ教えに触れ、自らの「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」、すなわち人生の究極的な意味と確かな安心について深く考え、心豊かに、そして賢明に生きていくための大きな力となります。法話を聞き、その智慧に触れることは、日々様々なご経験を重ねてこられた方々、そして社会でご活躍される皆様にとっても、ご自身の精神性を深め、より豊かな人間性を育み、これからの人生を穏やかに、そして意義深く過ごすための貴重な機会となるでしょう。そして、その尊いみ教えの場を護り、未来へと伝えていくための「み教えを支えるお心遣い」をお寄せいただくこともまた、この精神文化を社会全体で共有し、次世代へと継承していくための、非常に意義深く、そして洗練された社会貢献の形と言えるでしょう。

もしさらに詳しくお知りになりたいこと、あるいはご自身の状況に合わせて具体的なアドバイスをお求めの場合は、どうぞご遠慮なくお近くの浄土真宗本願寺派のお寺、あるいは私たち光顔寺(こうがんじ)へお問い合わせください。