
【永代経・永代供養・ご納骨】未来へつなぐ、感謝と安心の形
「永代経」「永代供養」の違いと、光顔寺の納骨堂について解説します。お墓のことでお悩みの方へ、故人への感謝を、未来へと続く安心の形にするための、具体的なご提案です。
富山県・石川県で、お寺とのお付き合いや、ご自身とご家族の将来を考える中で、「永代経(えいたいきょう)」そして「永代供養(えいたいくよう)」という言葉を耳にされるかもしれません。これらは、故人さまが遺してくださった仏縁を、未来へと大切に繋いでいくための、いずれも尊い仏事です。
この記事では、それぞれの違いを分かりやすく解説し、光顔寺が皆様のご不安にお応えする具体的な取り組みについて、詳しくお伝えします。
「永代経」と、浄土真宗の「永代供養」の考え方
まず、「永代経」とは、故人のご恩に感謝し、阿弥陀さまのみ教えがお寺を中心として永代にわたって受け継がれていくことを願い、支えるお心遣いです。
一方、浄土真宗で「永代供養」という言葉を用いる場合、それは追善供養ではなく、「永代にわたって故人を偲び、そのご縁をいただいた私たちが仏法に触れ続けられる『場』を、お寺が責任をもって護り続けていく」というお約束です。多くの場合、納骨堂などでご遺骨を永代にお預かりするという、具体的な形が伴います。
光顔寺の納骨堂と、十六日講主催「総追悼法要」のご案内
光顔寺では、この「永代供養」の精神に基づき、皆様の心の拠り所となる納骨堂(小矢部市・魚津市)をご用意しております。そして、その納骨堂では、ご納骨されているすべての故人さまを追慕するため、毎年、「総追悼法要(そうついとうほうよう)」を厳修しております。
この法要は、光顔寺の「十六日講(じゅうろくにちこう)」が主催する、当寺にとって大変大切な「つどい」です。十六日講は、光顔寺の護持発展を願うご門徒だけでなく、納骨堂をご縁とされた信徒の方々、あるいは普段お参りのご縁がなくとも、光顔寺がプロデュースする質の高い浄土真宗の法話をお聴聞されたいと願う、近隣地域や遠方の方など、どなたでもご参加いただける開かれた集いです。
【お一人おひとりのご縁を、かたちに】
総追悼法要では、ご希望される方のために、お一人おひとりのお名前を法名軸または法名帳に掲載し、そのご縁に感謝するお時間を設けております。
- 浄土真宗の法名
- 他宗派の戒名
- あるいは、俗名(生前のお名前)
いずれの形でも結構です。故人さまが生きてこられた確かな証を、皆で大切に受け止めさせていただきます。
このお名前の掲載をご希望される方には、法要を厳修し、み教えの場を護持していくためのお心遣いとして、懇志(お布施)をお願いしております。お一人につき壱万円、また「〇〇家先祖代々」としてまとめてお申し込みの場合は参萬円を目安としてお納めいただいております。
【ご自宅や施設からも参加できる、法話・仏教講演のオンライン配信】
当日の法要では、厳粛な読経に続き、僧侶による法話、あるいは仏教界の様々な専門家をお招きしての仏教講演が行われます。この部分は、より多くの方々に仏縁を深めていただけますよう、オンラインでのライブ配信を行っております。お申し込みフォームでメールアドレスをご登録いただくだけで、ご自宅や施設、病院など、どこからでも温かいみ教えに触れていただくことが可能です。
お布施について:私たちが、お寺を支えるということ
私たちは、ご法事などの際にお預かりする懇志(お布施)について、その意味を丁寧にご説明し、透明性を確保することを何よりも大切にしています。それは、皆様から寄せられるお心遣いが、単なる「支払い」ではなく、かけがえのない価値を持つ、未来への参加であると確信しているからです。
では、なぜ私たちは、お寺に懇志を寄せるのでしょうか。その答えは、「お寺が、私たちの人生にとって、かけがえのない『精神的な公共財』だから」です。
お寺は、単なる建物ではありません。
それは、人生の究極的な問いである「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」に、「教えの泉」である阿弥陀如来(本願力)から湧き出る、確かで揺るぎない答え(智慧)をいただくことができる、かけがえのない『井戸』なのです。
阿弥陀如来(本願力)こそが、尽きることのない智慧の「泉」です。そして、お寺とは、その泉から湧き出る「み教え」という清らかな水を、誰もがいつでも安心して汲むことができるように、泉の周りに築かれた大切な「井戸」に他なりません。
皆様からお預かりする懇志は、この「井戸」そのものであるお寺を護持し、私たちの子や孫、そして地域の未来の世代が、いつでもその有り難い水をいただくことができるよう、未来へと継承していくための、尊いお心遣いなのです。
だからこそ光顔寺では、そのお心遣いの基本となる額を、責任をもってお示しし、「もし、ご事情でお気持ちを寄せることが難しい場合は、どうかご遠慮なくご相談ください」と、必ずお伝えしています。泉の水は、誰にでも平等に開かれているべきだからです。
結び:未来へ繋ぐ、確かな安心と感謝の思い
「永代経」も、浄土真宗の「永代供養」、そして年に一度の「総追悼法要」も、形は異なりますが、その根底に流れるのは、故人への感謝と、阿弥陀さまのみ教えを未来へと繋いでいきたいという、私たちの報恩感謝の思いです。光顔寺は、その尊いお気持ちにどこまでも寄り添い、皆様と共に、み教えの灯を未来へと受け継いでまいりたいと願っております。お墓じまいのご相談なども含め、どのようなことでも、どうぞお気軽にご相談ください。
