【祠堂経とは】感謝を、私たちの「心の拠り所」を未来へ繋ぐ力に

祠堂経(しどうきょう)は、故人への感謝の思いを、私たち自身の心の拠り所であるお寺の未来を支える力へと繋げる、尊い仏事です。その意義と、光顔寺の考え方についてお伝えします。

ご法事やお参りを通して、お寺の本堂という清らかな空間に身を置き、静かに手を合わせた時、「ああ、ここに来ると心が落ち着くな」「この場所が、これからもずっとあり続けてほしい」と感じられたことはないでしょうか。「祠堂経(しどうきょう)」とは、そのような、私たち自身の心の拠り所であるお寺そのものを護り、維持していくために、有縁の方々がお気持ちを寄せられてお勤めされる法要のことです。

「祠堂」とは、お寺の本堂やお御堂(みどう)など、仏さまをお祀りし、み教えを聞くための大切な建物を指します。先に解説した「永代経」が、み教えそのものが永く伝わることを願うお心遣いであるのに対し、「祠堂経」は、そのみ教えが説かれる物理的な「場」を護持していくことに、より焦点が当てられています。

この法要も、特定の故人の追善供養ではありません。故人が遺してくださったご縁に感謝し、「このお寺が、私たちの子や孫、そして地域の未来の世代にとっても、心の安らぎの場所であり続けてほしい」と願い、そのために私たちができる具体的な行いの一つが、この祠堂経なのです。このご縁を通して、私たちは阿弥陀さまのみ教えの尊さを改めて心で味わい、この素晴らしいみ教えの「場」を未来へ繋ぐ営みに、私たち自身が主体的に参加させていただくのです。

【お布施(祠堂経懇志)について:人生の円熟期を迎えられた、すべての皆様へ】

長年にわたり社会やご家庭を支え、今はご自身の年金を糧に、一日一日を大切に暮らしておられる皆様へ。まず心からの敬意を表します。 その中で、「お寺とのお付き合いを続けたいが、金銭的に無理はできない」といった、切実なお気持ちを抱えていらっしゃる方がおられるかもしれません。

どうぞ、ご安心ください。そして、まず何よりも、阿弥陀さまのお慈悲も、私たち僧侶の敬意も、お布施の額によって少しでも揺らぐことは絶対にないということを、光顔寺の方針として、皆様に明確にお伝えいたします。

その上で、私たちが皆様からお預かりするお心遣い(お布施)について、光顔寺が抱いている本当の思いをお伝えさせてください。

皆様が、限られた生活費の中から、悩み、考え、そして「それでも、み教えの灯を未来へ繋ぎたい」と、そっとお包みくださるお心遣い。私たちは、それを、どのような大きなお布施にも勝る、この上なく尊いものとして、両手で大切に、有り難く頂戴しております。

それは、単なる寄付ではなく、皆様の歩んでこられた人生そのものから滲み出る、まことの布施です。そして、「この地域の未来の子ども達にも、私と同じように、いつでも帰ってこられる心の拠り所を残してあげてほしい」という、未来への尊い願いそのものなのです。

だからこそ、私たちは皆様のその尊いお気持ちに応えるべく、法務のレベルを維持し、高めるための研鑽を一日たりとも怠ることはできません。そして、皆様にご不安をおかけしないよう、お布施の基本となる額を事前にお伝えし、さらに「もし、ご事情がございましたら、どうか金額に一切とらわれず、ありのままをお聞かせください」と、必ずお伝えしているのです。

人生の円熟期に、仏法と共に歩む日々に、金銭的な不安という影が差すことのないように。 光顔寺は、いつでも皆様のお心に寄り添い、共に悩み、共に仏法を聴聞する、開かれたお寺であり続けたいと、心から願っております。