【家庭報恩講とは】ご家庭で親鸞聖人のご恩に感謝し、浄土往生の教えを味わう

家庭報恩講は、ご家庭で親鸞聖人のご恩に感謝し、ご家族そろって浄土往生の尊い教えを味わう機会です。その意義とすすめ方をお伝えします。

「報恩講」とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご命日の前後に、そのご恩に報い感謝を申し上げるためにお勤めされる、浄土真宗で最も大切な法要です。お寺では多くの方がお参りされ盛大にお勤めされますが、それとは別に、各ご家庭のお仏壇の前でご家族やご親族、親しい方々が集まってお勤めする報恩講を「家庭報恩講」と呼びます。

親鸞聖人はそのご生涯をかけて、私たち凡夫(ぼんぶ:煩悩にまみれた私たち自身のことです)が、阿弥陀さまの本願によって、お念仏一つで必ず仏さまの国(お浄土)へ往き生まれ仏となることができるという、この上ない救いの道を明らかにしてくださいました。そのご苦労がなければ、私たちはこの尊いみ教えに出会うことはできなかったかもしれません。家庭報恩講は、その親鸞聖人のご恩に心からの感謝を捧げる大切な機会です。

そしてこの教えは、今を生きている私たち自身、愛するパートナー、大切な友人、様々なご事情で子育てのご縁がなかった方、お子様を願ってもそのご縁に恵まれなかった方、多様な家族の形を築かれている方、子育ての中で様々な喜びや深い悲しみを経験されている方、お一人で力強く生きておられる方、障害と共に生きるお子様とそのご家族など、どのような立場や人生を歩んでおられる方であっても、阿弥陀さまの救いの対象であり、お念仏申せば誰一人として例外なくお浄土へ往き生まれることができるのだと、親鸞聖人は教えてくださっています。たとえ、その小さな手を握ることも、温もりを抱きしめることも叶わなかったいのちであったとしても、阿弥陀さまの光は、そのかけがえのないすべてのいのちを、そしてそのいのちを想い続ける私たちをも、平等に照らし、抱きとめてくださるのです。

ですから家庭報恩講は、今を生きる私たち一人ひとりが、どのような人生の背景を持っていたとしても、自分自身の「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」に真剣に向き合い、阿弥陀さまの確かなお救いを聞かせていただく、またとない機会となるのです。

ご自宅という安らげる場所で、親鸞聖人のご遺徳を讃えるお勤めをし、僧侶の法話に耳を傾ける。それは、阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏」のお救いを素直に信じ受け入れる「信心」の喜び(信心歓喜)を、より身近に、そして深く味わうことのできる、かけがえのないひとときとなるでしょう。お子様がいらっしゃるご家庭では、いのちの尊さや、目には見えないけれど私たちを支える大きな存在に気づき、感謝の心が自然と育まれる素晴らしい機会となります。

そしてこのご縁を通して集う人々が、それぞれの人生を尊重し合いながら阿弥陀さまのみ教えについて語り合い、その素晴らしさを分かち合う(自信教人信)ことで、その場がお念仏申す喜びに満たされ、より一層和やかで温かい雰囲気に包まれることでしょう。それは、親鸞聖人が最も願われた、み教えが様々な形の生活の中で自然と受け継がれていく美しい姿に他なりません。光顔寺では各ご家庭での家庭報恩講のお勤めも、喜んでお手伝いさせていただきます。