感謝を胸に ~お骨上げのお勤め(収骨勤行)~

火葬の後に行われる「お骨上げ」と、そこでのお勤め「収骨勤行」。それは、故人さまが生きてこられた確かな証に触れ、深い感謝を捧げる時です。その儀式の意味と、私たちが大切にしたい心についてお伝えします。

無常の炎がすべてを清め、静寂が訪れた後、私たちは、故人さまとの最後のお別れの儀式、「お骨上げ(収骨)」の時を迎えます。そして、その厳粛な行いと共に行われるお勤めが「収骨勤行(しゅうこつごんぎょう)」です。

熱を帯びたお骨を目の当たりにすることは、多くの方にとって、言葉に尽くせぬほどの悲しみと、いのちの儚さを痛感する瞬間かもしれません。しかし、浄土真宗の教えは、この時こそ、私たちが二つの大切な真実を深く受け止めさせていただく、かけがえのないご縁であると教えてくださいます。

一つは、「形」の無常です。あたたかな温もりを持ち、私たちに語りかけてくれた故人さまのお身体が、小さなお骨となって私たちの前にある。そのお姿は、この世の形あるものはすべて移ろい、留まることがないという「諸行無常」の真理を、何よりも雄弁に物語っています。

そしてもう一つは、「ご縁」の常住です。その小さなお骨に触れる時、私たちの心には、故人さまと過ごした日々の思い出、交わした言葉、優しい笑顔が、いっそう鮮やかに蘇ってくるのではないでしょうか。形は失われても、故人さまが私たちに遺してくださった温かいご恩や、結ばれたご縁は、決して消えることはありません。

収骨勤行は、この二つの真実の狭間で、呆然と立ち尽くす私たちを、阿弥陀さまの智慧と慈悲の光がそっと包み込んでくださる時間です。「南無阿弥陀仏」のお念仏は、無常の理も、常住のご縁も、そのすべてを摂め取ってくださる仏さまの呼び声です。私たちは、お念仏をお称えしながら、故人さまが生きてこられた確かな証であるご遺骨を、深い感謝と敬いの心で、大切にお骨壺へとお納めさせていただきます。

ご収骨の作法は、地域によって慣習が大きく異なることが知られています。例えばここ富山県の大部分や、お隣の石川県能登地方、そして東日本全域では、ほとんどすべてのご遺骨を比較的大きなお骨壺に納める「全骨収蔵(ぜんこつしゅうぞう)」が一般的です。ただし、同じ富山県内でも、私どもの寺院がございます小矢部市や、隣接する砺波市・南砺市といった呉西(ごせい)の一部地域では、西日本の部分収骨ほどではございませんが、県内の他の地域に比べてやや小さめのお骨壺を用いる傾向もございます。一方で、石川県の加賀地方や金沢周辺、福井県、そして西日本全域では、喉仏(ほとけさま)とよばれるお骨を中心に、一部のご遺骨のみを小さなお骨壺に納める「部分収骨(ぶぶんしゅうこつ)」が多く見られます。もちろん、これらは大まかな傾向であり、地域によってはさらに細かい慣習の違いもございます。

お骨壺の大きさや収めるご遺骨の量にかかわらず、そこに込められる故人さまへの深い敬意と、心からの感謝の気持ちに何ら変わりはありません。どのような地域の慣習であっても、故人さまが生きてこられた紛れもない証に、最後に触れさせていただく尊い行いであること、そしてそのご縁に感謝する心が最も大切なのです。

この収骨勤行を通して、私たちは故人さまのいのちの尊厳に改めて触れ、尽きせぬ感謝の念を新たにします。そして、この悲しみを縁として、自らのいのちのゆくえに、静かに思いを馳せるのです。

それでは、次の「【収骨勤行の心】小さなお骨に宿る故人の面影と、自らのいのちのゆくえ」のページで、このお勤めが持つ、より深い意味について共に学んでまいりましょう。