感謝の念仏と共に ~思い出の道を(路念仏)~

出棺に際して行われる「路念仏(じねんぶつ)」は、故人さまとの思い出の道を心に描きながら、感謝のお念仏と共にお見送りする、心温まる習わしです。その歴史と、浄土真宗における深い意味合いをお伝えします。

出棺勤行を終え、いよいよ故人さまが慣れ親しんだご自宅や式場を後にされる、その厳粛な瞬間に、私たちは「路念仏(じねんぶつ)」という、静かで、そして深い感謝に満ちたお勤めにご縁をいただくことがあります。それは、故人さまとのこの世での物理的なお別れの、まさにその一歩を踏み出す時に、私たちが最後に故人さまへお伝えできる、最も尊い感謝の表現の一つです。

かつては、ご親族や縁故の方々が棺の後につき、葬列を組んで火葬場や墓地まで歩きながら、声を合わせて「南無阿弥陀仏」とお称えしたのが、この路念仏の本来の姿でした。故人さまが生まれ育ち、そして生涯を終えるまで歩まれた思い出の道を、皆で念仏の声と共に辿る、情緒豊かな美しい習わしでした。現代では、ここ富山県・石川県においても、葬儀の多くが葬祭ホールで執り行われ、ご出棺も霊柩車で行うのが一般的です。そのため、葬列を組んで歩くことはほとんどなくなりましたが、その心は形を変えて今も大切に受け継がれています。多くの場合、ご出棺の直前、霊柩車を前にして、あるいは式場内で、僧侶の導きのもと、ご遺族やご参列の皆様が心を一つにして、しばし静かにお念仏をお称えする時間が、この路念仏にあたります。

では、この路念仏は、どのような意味を持つのでしょうか。 まず大切なことは、これが故人さまの魂を鎮めたり、迷わずにあの世へ行けるようにと願う、魔除けや追善供養の類いではないということです。浄土真宗では、阿弥陀さまの本願を信じる人は、いのち終えると同時に、ただちに阿弥陀さまの光明に摂め取られ、お浄土へ往き生まれると教えられます。故人さまはすでに、阿弥陀さまの絶対的なお救いの中に安らかにおられるのです。

その上で、路念仏は、遺された私たちにとって、二つの大きな感謝を表すための、かけがえのない時間となります。 一つは、故人さまへの感謝です。故人さまが歩んでこられた人生の道のり、共に過ごした温かい時間、そして私たちに遺してくださった数々の思い出に思いを馳せ、心からの「ありがとう」の気持ちを、お念仏の声に乗せてお伝えするのです。 そしてもう一つは、阿弥陀さまへの感謝です。故人さまとのご縁を通して、私たちを必ず救うという阿弥陀さまの広大なお慈悲に出遇わせていただいたことへの、深い感謝の思いです。私たちが称える「南無阿弥陀仏」は、そのお救いに対する感謝の言葉(称名報恩)に他なりません。

悲しい別れの時が、ただ辛いだけでなく、故人への尽きせぬ感謝と、阿弥陀さまへの深い帰依の思いを確認する、温かく、そして力強い時間へと転換される。それが、浄土真宗における路念仏の尊い意義なのです。

それでは、次の「【路念仏とは】故人さまとの思い出の道を、感謝の念仏で辿る」のページで、その心についてさらに詳しく見てまいりましょう。