【月参り(月忌法要)】毎月の命日、お念仏の習慣と弥陀の願いに触れる生活

毎月の命日に行う月参り(月忌法要)は、日々の生活の中でお念仏申す生活に親しみ、わが身のあり方と、私たちに向けられた阿弥陀さまの願いに触れる大切な機会です。

故人がこの世のいのちを終えられた月ごとの命日(月命日)に、僧侶がご自宅のお仏壇などにお参りし、お勤めをさせていただくのが「月参り(月忌法要)」です。毎月巡ってくるご命日は、日々の忙しさの中で故人との思い出やご恩を改めて心に刻む、大切な日です。

ご葬儀や中陰の法要という特別なご縁で、私たちは、阿弥陀さまが法蔵菩薩であった時に、想像を絶するご苦労の末に「すべてのものを必ず救う」という広大な願い(本願)を建て、成就されたという、壮大な物語に触れさせていただきました。

月参りは、その壮大な物語が、決して遠い過去のお話ではなく、今この私のための、そして日々の暮らしの中に届いている真実なのだと、繰り返し確かめさせていただくための、かけがえのない時間です。阿弥陀さまの広大なご本願は、**「南無阿弥陀仏」**という、いつでも、どこでも、誰でも称えることのできるお念仏となって、私たちの生活の中に届いています。

月に一度、僧侶と共に静かにお勤めをし、法話に耳を傾けるひとときは、私たちの心を、この**「弥陀の願い」の原点**へと立ち返らせてくれます。 日々の生活の中で、自分の都合や欲望(煩悩)に振り回され、自己嫌悪に陥ったり、不安に苛まれたりする私たち。そのありのままの姿を、阿弥陀さまはすべてご承知の上で、「その身、そのままで、必ず救う」と、今も呼び続けてくださっています。「南無阿弥陀仏」とお称えする時、私たちはその阿弥陀さまの願いに、もう一度触れさせていただくのです。

お仕事などで毎月お勤めすることが難しい場合でも、ご都合のつく月だけでもお勤めされたり、ご自身でお仏壇に手を合わせ、故人を偲びながら、私たちに向けられた阿弥陀さまの願いに思いを馳せる時間を大切にされるとよいでしょう。私たち光顔寺では皆様のご事情に寄り添いながら、月参りのご縁を大切にしたいと考えております。

この月々の穏やかな「つどい」を通して、お念仏が私たちの生活に深く根付き、阿弥陀さまの願いに触れる喜びが、人生をより豊かに、そして力強く照らしてくれることでしょう。