【浄土真宗の葬儀】故人を偲び、み教えに生かされる喜びを知る

浄土真宗におけるご葬儀は、故人さまを偲び、そのご縁を通して阿弥陀さまの教えに出会い、自らの「いのちの本当のゆくえ」についてみ教えに聞く、人生で最も大切な儀式の一つです。その深い意味と意義について解説します。

葬儀は、故人とのお別れの儀式の中でも最も中心となる厳粛で意義深い大切な時間です。故人がこの世のいのちを終え阿弥陀さまのおられる光り輝く世界(お浄土)へと往かれたことを厳粛に受け止めその尊いご縁をいただき、私たちは阿弥陀さまのお徳を讃え故人が遺してくださった温かい思い出や教えを心に深く刻みます。仏教では、死は終わりではなく、新たな世界への移行(往生)と捉える視点がありますが、浄土真宗では、阿弥陀さまの本願力により、ただちに仏さまの国であるお浄土へ往き生まれると教えられます。この「即得往生」の教えは、他の多くの仏教宗派が説く、死後の段階的なプロセスや審判(例えば十王信仰や十三仏信仰など)とは異なり、私たちに絶対的な安心を与えてくれます。この儀式を通して遺された私たち一人ひとりが仏さまの深く温かい慈しみに満ちた教えに触れ、これからの人生をどう感謝の気持ちを持って歩むべきか、そして何よりも自分自身の「いのちの終わりにどこへ往き、どうすれば本当の安らぎを得られるのか」という「いのちの本当のゆくえ(後生の一大事)」をどう心にかけていくべきか、その大切な指針と勇気をいただくかけがえのない機会となります。

(一)開式・僧侶入場:

静寂の中、葬儀の開式が告げられ、僧侶が入場いたします。本来、このような大切な儀式は、複数の僧侶によって、それぞれの役割を担いながら厳(おごそ)かに執り行われます。その中心となる導師(どうし:儀式を導き、教えを説く僧侶)は、仏さまへの最高の敬意と儀式の尊厳を表すため、「七条袈裟(しちじょうげさ)」という、最も正式な法衣(ほうえ)を着用するのが本義です。これは、お釈迦様の時代から受け継がれる仏教の伝統に則ったものです。お棺に掛けられた七条袈裟や修多羅(しゅたら)が故人の仏弟子としてのお姿を示すように、僧侶もまた、故人に代わって、あるいは故人と共に仏前に立たせていただく思いで、この正式な装いに身を包みます。

しかし近年では、ごく近しいご家族や親族のみでお見送りされる小規模なご葬儀も増え、そのような場合には、僧侶が1名でお勤めすることもございます。その際、状況に応じて、導師が「五条袈裟(ごじょうげさ)」という、七条袈裟よりは少し簡略にはなりますが、同じく正式な法衣を着用することもあります。この五条袈裟もまた、お釈迦様の時代の質素な衣(糞掃衣:ふんぞうえ)の精神を受け継ぐと共に、日本においては、古く朝廷が国家の安泰と仏教による人々の心の安定を願い篤く仏教を庇護し、また仏教を深く信仰された天皇方がその興隆を願われる中で、僧侶の法衣の一つとして正式に定められたという歴史も持ちます。どのような場、どのような装いであっても、僧侶は故人に代わり仏弟子としての心を込めてお勤めいたします。ここから、故人を偲び、阿弥陀さまのみ教えに触れる厳粛な時間が始まります。

(二)三奉請(さんぶじょう):

まず、私たちが心の拠り所とすべき三つの宝(三宝)をお迎えします。一つには、この世界の真理を悟られ私たちに救いの道を示してくださったお釈迦さまをはじめとする仏さまがた。二つには、その仏さま方が説かれた、私たちが真実の幸福に至るための尊い教え(法)、特に阿弥陀さまが私たちをお救いくださる本願とその教え。三つには、お釈迦さまの教えに従い悟りを目指して厳しい修行に励む方々(一般に「僧」と呼ばれる修行者の方々)や、その教えを私たちに伝えお念仏の道を共に歩む共同体(これを僧伽・サンガといいます)、そして見真大師親鸞聖人をはじめこの尊いみ教えを私たちに真摯に届けてくださった多くの先達の方々です。この大切な葬儀において、阿弥陀さまのお心とみ教えを私たちに伝え(これをお取次ぎといいます)、儀式を厳粛に執り行うのが、浄土真宗本願寺派の僧侶です。僧侶は、私たちと共に阿弥陀さまの救いを信じる同朋でありながら、私たちにとってかけがえのない存在です。浄土真宗本願寺派の僧侶は、その教えを深く学び伝えるという大切な役割を担っており、私たち光顔寺の僧侶もまた、その使命を深く受け止め、日々教えに耳を傾け、皆様と共に仏法を聴聞し、学びを深めていく姿勢を大切にしております。そのような三宝のお導きに敬意を払い、お勤めに臨みましょう。

(三)表白(ひょうびゃく):

僧侶が、この葬儀がどのような大切な意味を持つのか、そして故人を偲び、故人のご恩に深く感謝する私たちの切なる思いを、仏さまの御前に丁寧に、そして心を込めてお伝えします。

(四)弔辞・弔電拝読:

故人と生前、特にゆかりの深かった方々からの、心のこもった温かいお別れの言葉(弔辞)や、遠方などの理由でご参列が叶わなかった方々から寄せられた、故人を偲ぶ心のこもったメッセージ(弔電)が読み上げられます。故人の生前のお人柄やご活躍、優しさなどを皆で共有し、故人を偲ぶ思いを一層深めます。

ここで、弔辞や弔電をお寄せいただく際に、少し心に留めていただきたい大切なことがございます。私たちは、多様な価値観や文化が共存する社会に生きています。それぞれの個人やご家庭が大切にされている信条や宗旨、心のありようは尊重されるべきものであり、それはお別れの場においても変わりません。過去には、大きな災害時などに、異なる文化的背景を持つ方々への配慮が十分でなかったために、国際的な理解を得る上で課題が生じた事例もございました。これは、相手の方が何を大切にされているかを深く理解し、敬意を払うことの重要性を示しています。

お悔やみの言葉も同様に、故人やご遺族が大切にされている宗旨や宗教観に寄り添った言葉遣いを心がけることは、故人の人生と、そしてご遺族のお気持ちを深く尊重する、洗練された大人の心遣いと言えるでしょう。たとえ故人が生前、特定の宗教に深く帰依されていなかったように見えたとしても、その方が生きてこられた家の宗旨や、ご家族が大切にされている儀礼の形に思いを致すことは、心からの弔意を表す上で非常に意義深いことです。

浄土真宗本願寺派では、故人のいのちは阿弥陀さまのお力で仏さまとして光り輝くお浄土(極楽浄土)に生まれており、迷いの世界(冥途)にいるわけでも、天国という別の場所へ行くわけでも、どこかで眠っているわけでもない、と教わります。ですから、例えば「ご冥福をお祈りします」「天国で安らかに」「草葉の陰から見守って」「黄泉の国へ旅立つ」「〇〇さんのために祈っています」「安らかにお眠りください」といった言葉は、他の宗教や一般的な慣習では心を込めた表現として使われますが、浄土真宗の教えとは異なるため、お使いにならない方が、故人やご遺族のお気持ちに、より深く寄り添うことができるかと存じます。

もしよろしければ、以下のような例文をご参考に、故人への感謝と、阿弥陀さまのお導きによるご往生を偲ぶお気持ちをお伝えいただければ幸いです。

フォーマルな場合:

「〇〇様のご往生の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。生前のご厚情に深く感謝申し上げますとともに、阿弥陀さまのお導きのもと、安らかなる仏さまの国(西方極楽浄土)へ還られましたことをお偲び申し上げます。ご遺族の皆様におかれましては、お悲しみいかばかりかと拝察いたしますが、〇〇様が遺された尊いご縁を胸に、私どもも仏法を聴聞し、〇〇様のみあとを慕ってまいりたいと存じます。」

親しいご友人などの場合:

「〇〇さんの突然のお知らせに、ただただ驚き、言葉にならないほどの悲しみで胸がいっぱいです。いつも太陽のような笑顔で、私たちを元気づけてくれた〇〇さん。たくさんの素晴らしい思い出を、本当にありがとう。阿弥陀さまの温かいお慈悲に抱かれ、仏さまとして、今度は私たちを真実の道へと導き、お育てくださるはたらきを始めておられることと信じています。〇〇さんから教わった大切なこと、そしてこのご縁を宝物として、私もお念仏の教えを大切に、前を向いて生きていこうと思っています。」

故人が生前、熱心にお聴聞(ちょうもん)されていた場合:

「〇〇様が、かねてより深く帰依しておられました阿弥陀如来さまの広大無辺なるお力により、この度めでたく西方極楽浄土へ往生の素懐(そかい:かねてからの願い)を遂げられましたこと、心よりお慶び申し上げ、また深くお偲び申し上げます。〇〇様が常々私たちにお話しくださった、お念仏一つで必ず救われるという阿弥陀さまの尊いみ教えは、私たちの心にも深く、そして温かく刻まれております。このかけがえのない尊いご縁をいただき、私どももまた、〇〇様に続き、お浄土での再会を心から願い、仏法を聴聞し、お念仏申す身として精進してまいります。」

他宗教の方が、浄土真宗本願寺派の方へ送る場合:

「〇〇様のご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。生前の〇〇様の温かいお人柄と、優しい笑顔が偲ばれ、寂しさが募ります。〇〇様が大切にされてこられた阿弥陀さまという仏さまの、大きなお慈悲の光の中で、今は穏やかにお過ごしになられていることと拝察いたします。ご遺族の皆様におかれましては、お悲しみもいかばかりかと存じますが、どうぞお身体をご自愛くださいませ。心より〇〇様のご遺徳をお偲び申し上げます。」

公職の方が、浄土真宗本願寺派の方へ送る場合:

「〇〇(役職名)の〇〇(氏名)でございます。この度、〇〇様のご往生の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。〇〇様には、生前、地域社会の発展に多大なるご貢献を賜り、その温かいお人柄と共に、多くの方々から深く敬愛されておりました。かねてより阿弥陀様のみ教えを篤く信じておられた〇〇様が、阿弥陀様のお導きにより、光り輝くお浄土へとお還りになられましたことと拝察いたします。ご遺族の皆様におかれましては、お悲しみもいかばかりかと存じますが、どうかお力落としのことなく、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。ここに、〇〇様のご遺徳を深く偲び、衷心より哀悼の誠を捧げます。」

(五)葬場勤行(そうじょうごんぎょう):

葬儀の中心となるお勤めです。僧侶が『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』という親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗の教えの核心が込められた大切な偈文(げもん)などを読み上げ、続いて私たちも共に「南無阿弥陀仏」のお念仏や和讃(わさん)をお称えします。このお念仏申す姿、み教えを聴聞する真摯な姿が、すでに仏となられた故人への何よりの報恩となり、また故人が遺してくださったご縁で仏法に出会えたことへの感謝を表し、そのお徳を讃嘆するものです。

(六)焼香(しょうこう):

お香を焚き、その清らかな香りと煙に、故人への感謝と敬いの気持ち、そして私たちを常に見守りお導きくださる仏さまへの帰依の思いを託します。お焼香の際は目を閉じず、ご本尊を静かに拝見します。浄土真宗本願寺派ではお香を香炉にくべる回数は一回とされ、額に押しいただくことはしません。この一回の焼香に、阿弥陀さまの大きな救いのおはたらきにわが身をすべてお預けするという心からの深い信頼と感謝の気持ちを表します。お念仏はできれば小さな声でも口に出してお称えします。仏法を聞かせていただく有り難さをかみしめ、仏さまのみ教えに耳を傾ける、故人との最後の対話であると共に、私たちが仏さまの智慧に触れ自らの「いのちの本当のゆくえ」を考えるかけがえのない時間です。

(七)告別式(こくべつしき):

ご参列された皆様が故人に最後のお別れを告げます。まもなくご出棺となります。名残は尽きませんが、故人が遺してくださったすべてに感謝の気持ちで見送ります。この葬儀という厳粛な場を通して、私たちは自分自身の「いのちの終わりにどこへ往き、どうすれば本当の安らぎを得られるのか」という最も大切な問題(「後生の一大事」)について深く考える機会をいただきます。それは死後のことだけでなく、今の生き方、何に本当の価値を見出すべきかという問いかけです。浄土真宗の教えは、この問いに対し阿弥陀さまの限りないお慈悲の中にこそ確かな答えと揺るぎない心の依り処があると教えてくださいます。この大切な儀式を心を込めて営み、法話を聞き、その智慧と安心の価値を感じ、また「仏法を未来へ繋ぐお力添え」をお寄せになることは、私たちの精神を豊かにする、非常に尊い行いと言えるでしょう。