「成人の日」と「成仏の日」

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

早いもので、年が明けたと思ったらもう1月も終わりです。1月といえば、成人の日がありました。御自身や、お子さん、お孫さんで今年が成人式だったという方もあるでしょう。

成人とは、文字通り「成長して一人前の人間になること」をいいます。現在は、法律で20歳から成年という扱いにになります。この法律も、改正され2022年4月からは18歳から成年となります。

私自身を振り返ってみても思うことですが、20歳になったからと言って突然「一人前の人になった」という感じはありません。

これは、年齢に限らず、人間は生まれながらにして成人という人はありません。誰しも生まれた頃は赤ん坊です、それがだんだんと大きくなり、やがて一人前の大人となります。

それに対して、「成仏」というのはどうでしょう。成仏とは、文字通り「仏に成る」ということで、仏のさとりをひらくことです。

「あなたの成人の日は?」と聞かれれば、「20歳の1月第2月曜日」と答えることと、思います。では「あなたの成仏の日は?」と聞かれればどうでしょう。

「私が仏のさとりをひらくことなんてあるのかしら?」と思う方もあると思います。確かに、生まれながらに成人がいないように、生まれながらに仏のさとりをひらいている人もありません。

実際、仏教を説かれたお釈迦さまも、生まれながらの仏ではありませんでした。29歳で出家をされてから、さまざまな修行をされ35歳の12月8日に仏のさとりを開かれました。ですから、お釈迦さまの「成仏の日」は「35歳の12月8日」となります。

そこで、お釈迦さまは「あなたも仏のさとりをひらくことが出来ますよ」ということで教えられたのが今日の「仏教」です。ですから、「仏教」とは「仏になる教え」とも読みます。

「仏のさとりを開く」というのは、仏教で言う迷いを離れてもう迷わない身になることをいいます。しかし、そう聞くと「出家して修行しないとなれないのでは?」と思う方もあると思います。

浄土真宗では、出家したり、修行ができないような環境の人でも阿弥陀仏の本願によって生きている間に浄土往生が定まります。そして、その人がこの世の命が終われば速やかに浄土に往生して仏のさとりをひらくというものです。

浄土真宗の教えによって「浄土往生が定まった人」にとっては、「成仏の日」とはすなわち、その人がこの世の命を終えた日ということになります。そのように、なって頂きたいという教えが浄土真宗の教えです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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