【仏教ブログ】夏しか知らないセミと今しか知らない私 2022年07月08日 00:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

例年より2週間近く梅雨が早く明け、連日猛暑が続いています。7月からは、すっかり夏らしい日々が続いています。

夏といえば、セミが鳴く季節です。ずっと地中にいたセミの幼虫は、夏に羽化してセミとなり、一週間から二週間で命を終えていきます。

セミについて書かれた言葉を、今回は紹介します。

蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや

(けいこしゅんじゅうをしらず いちゅう あに しゅようのせつをしらんや)

(曇鸞大師 浄土論註)

これは、これは曇鸞大師は、中国の方です。上記にあげた言葉は、荘子からの引用と言われています。

蟪蛄(けいこ)とは夏ゼミのことです、夏に出てきて夏で死んでいくセミは春と秋を知りません。だから伊虫(この虫)は、どうして朱陽(夏)の季節を知る事ができるだろうかという意味です。

私たちが、梅雨が明けた、夏が来たとか、今年の夏は暑いというのは、春夏秋冬という季節を知っているからです。ですから、セミを見て「セミは夏に鳴くもの」「夏の風物詩」と言っています。

しかし、当のセミからすれば「自分は夏に鳴いている」という意識はないでしょう。言い換えると、セミは夏に鳴きながら「夏」を知らないのです。

私たちに当てはめてみると、私たちは「今」を生きています。生まれる前も、死んだ後も知りません。未来に関しては、明日のことも知りません。

その意味では、私たちは「今」を生きながら「今」を知っていません。

いろいろと世情が不安定で「先行きが不透明」という言葉をよく耳にしますが、「先行き」ではなく「今」が不透明なのが私というものです。

しかし、セミがどれだけ考えても夏を夏と知る事がないように、私も今をどれだけ考えても知る事ができません。そこで、浄土真宗では、阿弥陀仏が私たちをどのようにご覧になっているかということを通して私というものを教えて頂きます。

私以上に、私を知られているのが阿弥陀仏という仏様です。その阿弥陀仏が、私を救うために建てられたのが阿弥陀仏の本願です。その阿弥陀仏の本願に救われるのが、浄土真宗の救いです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。