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【ご供養便り】山口県阿武町の誤送金問題における中山修身弁護士の対応に思うこと2022年05月25日 15:05

光顔寺越乃國阿弥陀堂(光顔寺 納骨堂)の僧侶スタッフ、釋玄理です。

筆不精な為、二年間余りブログを更新していませんでした。

今回、阿武町の事案を担当された中山修身弁護士について個人的興味もあり
所属されている「中山・石村法律事務所」HPを拝見したところ
以下の記述がありました。

https://nakayama-ishimura.com/cms/2018052317352569.html

(「中山・石村法律事務所」HP)


私は,弁護士会に軸足を置いて社会と関わってきました。今後はもう少し,幅広く,社会的な活動をしてみようと思います。
当面,

(中略)

刑事弁護人,犯罪被害者側代理人,交通事故・労災の加害者・被害者双方の代理人の他,成年後見人等を務めていますと,「人」の「生老病死」に関わります。このような仕事は,弁護士だけでは,どうしようもなく,そのご本人や周辺の人々の「人生」・「心」に関わります。こういうことに伝統的に関わり,その意味では,「プロ」の宗教家(主に仏教者)等と連携すべく模索中です。
 


浄土真宗で大切にしているご本願(『仏説無量寿経』内の第十八願)には
「十方衆生」という言葉があります。

仏や極楽浄土(仏国土)の在り様として
「世界中の生きとし生けるもの(を救うのが仏ですよ)」
という言葉です。
お念仏の教えをいただいたものは、いずれ仏と生まれる身となることを前提として
そのような在り様に自らの身をあてていくこととなります。

今回の中山修身弁護士が導いた結果については
あらゆる関係者が加害者であり被害者であるという事が多く
「オンラインカジノでお金を使った人」「誤振込をした担当者」にとどまらず
「オンラインカジノにまつわる問題」「マネーロンダリング」
「オンラインにしづらい行政システム」など様々な問題に光があたり
様々な方々が救われたという点で智慧と慈悲に基づいた解決へいたる道と言っても
よいのかもしれません。

浄土真宗の熱心なご法義地と言われる山口の弁護士さんですので
いずれ我々仏教者と一緒にお仕事をしていただける日を
楽しみにしたいと思います。

合掌 称名

【仏教ブログ】源信僧都の母の話(2)2022年05月22日 00:05

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の記事の続きです。

母の手紙によって修行に打ち込んだ源信のその後です。

それから6年の歳月が流れ、7年目の春に源信は母に手紙を書きました。

「あれから6年間山で修行に打ち込んできました。母上も心配されているでしょうから、一度そちらに伺いましょうか。」

母からの返事が届きます。

「もちろん会いたいとは思いますが、会ったからといって私の罪が消える訳ではないでしょう。あれから山に籠もって修行に専念していることを聞いただけで嬉しく思います。今後は私が言うまでは山から出てこなくていいです。」

この手紙を読んだ源信は「母はただ人ではない。」と思い、その手紙の通りさらに山から降りずに修行を続けます。

それから9年がたった頃、急に源信は胸騒ぎがして母を訪ねることを決心します。

大和の国に入ったところで、母からの手紙を預かっている男に出会います。

その手紙には、「もう自分は長くない。以前私が言うまで山から出てはならないと便りに書きましたが、もう一度何とか会いたいと思います」と書かれていました。

その手紙を読んだ源信は母の元に急ぎました。夕方に自宅に到着し、久しぶりに会った母は、とても衰弱していました。

母は「なんと嬉しい事でしょうか。死ぬまでにはもう会えないかと思っていたところでした。」と苦しい息の中で喜びました。

源信は「念仏申されていますか」と訪ねます。

母は「念仏申そうとは思いますが、もう力もなく勧める人もないのでそのようにできておりません。」

そこで源信は、尊いことを言い聞かせながら念仏を勧めました。母は、仏道を求める心がおこり、念仏を二百回ばかり称えると、明け方になり静かに息を引き取りました。

源信は、「この母がなければ私は仏道に入ることもなかったし、また母も死の間際に息子に念仏を勧められることもなかった。しかれば、親は子にとって、子は親にとって限りなき善知識(仏法の先生)である」と言って涙を流して山へと戻りました。

子にとって親が善知識であり、親はまた子にとって善知識であるという関係でありたいものです。

お互い元気な時も、そうでないときも、ともに念仏申すご縁となるのが、素晴らしい親子の間柄だと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】源信僧都の母の話(1)2022年05月07日 00:05

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

5月の第二日曜日は母の日です。

子供に影響を与えた母親の話として有名なのは、源信のお母様の話です。

源信(942ー1017)は、平安時代の比叡山の僧侶です。「往生要集」を書かれた方で、恵心僧都ともいわれます。浄土真宗では親鸞聖人が正信偈に挙げられた「七高僧」の一人として有名です。

源信は、大和国(現在の奈良県)当麻の生まれです。7歳で父と死別し、9歳で比叡山に入り13歳で正式に出家得度します。大変聡明だった源信は、その後15歳で時の天皇の前で「称讃浄土経」の講義をし、法華八講の講師の一人に選ばれます。

大変な名誉に、源信僧都は母親に喜んで貰おうと、天皇より賜った品々に手紙を添えて送りました。しばらくして、母親から手紙で返事が届きました。

そこには、こう書かれていたそうです。

「このような有名な学者になったこと自体はとても喜んでいます。しかし、法華八講になったと大手を振って歩くようなことは、私の本意ではありません。

 私には娘は他に何人もいますが、息子は貴方一人でした。その一人息子を比叡山に送ったのは、よく仏教の学問をして、多武の峰の聖人(名聞利養を捨てた徳の高い僧として有名だった)のような僧となり、私の後生も救ってくれる人になってもらいたくてのことなのです。私も年を取りました。生きている間に貴方が聖人となるのをこの目で見てから安心して死にたい。」

最後に歌がそえられていたと言われています。

「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

一人息子を9歳で送り出し、その息子が大変な名誉を獲た事を喜ぶ一方で、僧侶としての本分を忘れてはならないことを諌めた源信の母の気持ちはどんなものだったでしょうか。

源信は、母に「聖人になられたのでお会いしましょうと言われるまでは、山から降りません」と返事をして修行により一層打ち込みました。

これほど直接的に言われた事はなかったとしても、親は子供に正しい道を歩んで欲しいと願っています。

仏教では、迷いを離れていく事が正しい道だと教えられています。また、実の親以上に阿弥陀仏は私が迷いを離れる事を願っておられます。その阿弥陀仏の願いの通りに生きていきたいものです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。