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【仏教ブログ】『浄土にてかならずかならず待っている』2021年05月15日 00:05

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回、人は孤独であるということを教えられたお釈迦さまのお言葉を紹介しました。

しかし、家族や友人などと離ればなれになって二度と会うことができないと思うと大変つらくなってきます。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、晩年にお弟子に書かれた手紙には、それとは反対のことを書かれています。

この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。(親鸞聖人御消息)

私の体は、今は年を取ってしまい、貴方よりきっと先に浄土へと旅立って往生する。だから浄土で必ず必ず待っているぞと書かれています。

この世は老少不定とはいいながら、さすがに自分の年もある程度の年を越えていくと、きっとあの人より、また子供や孫より先に旅立つに違いないと思うときがあります。反対に、自分より年上の家族をみて、自分がきちんと見送らねばと思う人もあるでしょう。

そんなときに、見送られる立場になった人が「浄土にてかならずかならず待っているぞ」ということができるでしょうか?自分のこともさることながら、「待っているぞ」と言った相手がまた浄土に往生しなければ、どれだけ待っていても再会することは叶いません。見送る家族に「浄土で必ず必ず待っている」と言われたならば、私はどうやって浄土に往生すればいいのでしょうか?

それについて、親鸞聖人は上記のお手紙の中でこのように書かれています。

念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。(同上)

念仏するものを必ず浄土に往生させるという阿弥陀仏の本願であると疑い無く信じて、南無阿弥陀仏と称えるものは、浄土に往生すると言われています。

南無阿弥陀仏は、私を浄土に往生させるという阿弥陀仏のお働きそのものです。この南無阿弥陀仏を深く信ずる人は、浄土往生が定まりますので、親鸞聖人のように「浄土にてかならずかならず待っている」ということができます。また、同じように浄土往生が定まった人は必ず必ず浄土で再び会うことができます。

旅立つときには「待っているぞ」見送る側は「待っててね」とお互いが「必ず必ず浄土に往生する」という身になることが、本当に有り難いことだと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】誰にも会えないと苦しみと、いつでも会える世界について2021年05月01日 00:05

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

新型コロナウイルス感染者の急増により再び緊急事態宣言が東京、京都、大阪、兵庫の4都府県に出されました。四都府県だけに限らず、独自の規制を出している都府県もあり、また感染者の多い都府県への移動も自粛するようにと呼びかけられている状態です。

いわゆるゴールデンウィークも、昨年に続き帰省をしたり旅行をすることはできないと言う方も多いかと思います。また、子供さんやお孫さんの帰りを待っていた方からすると、またしても肩透かしを受けたような状態です。

「コロナ疲れ」という言葉も、使われるようになって久しいですが、それはどんな「疲れ」なのかを考えてみますと、最も大きなものは「人に会うことができない」ということに尽きるかと思います。

人に会うことができない「孤独」と言う状態は、大変苦しいものです。随分前から「孤独死」という言葉を目にする機会も増え、孤独な状態のまま人生を終えることは誰も望んでいることではありません。

しかし、今回の緊急事態宣言が出なくても、人は一人で生まれ、一人で死んでいく存在であるとお釈迦さまは教えられています。

人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。(仏説無量寿経)

私たちは、日ごろ生活をしている中で、いろんな欲望に振り回されて生きています。それでも、生まれてきたのは独りですし、死んでいくときも独りです。それぞれの行いによって、それに応じた世界にまた行き着くのですが、その代わりをしてくれる人は誰もいません。

死んだ後が苦しい世界になるのは、一人一人が孤独の状態にあるからです。自分以外に、その苦しみを替わってくれる人がいないし、誰にもあうことがないのが地獄という世界です。

そういう意味で、誰とも会えない状態が続いている人は、生きている現在も地獄におられるということになります。

しかし、阿弥陀仏の浄土は、「倶会一処」といわれるように一つのところに浄土に往生した人はまた会うことができます。お互いを、浄土で懐かしく再会できるようになると有り難いことです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。