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七尾市方面からの納骨堂のご利用・墓じまいについて2020年07月26日 17:07

能越道の無料化以降、七尾市はじめ能登方面からご納骨・葬儀法要・法話のご縁をいただくことが多くなっております。

(七尾方面から当納骨堂への最寄りインターは能越道福岡インターです)

そこで納骨堂のご利用に関して、七尾市民や七尾市内に墓地がおありになる方の納骨堂のご利用の流れを記させていただきます。

※一般の納骨堂ご利用の流れ

1)光顔寺納骨堂のご契約(納骨予定者様が生存中・死後を問いません)

2)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

3)埋葬許可証(火葬証明書)とご遺骨を持参され、納骨

※墓じまいを伴う納骨堂ご利用の流れ

墓地や納骨堂などに埋蔵・収蔵されている焼骨や遺体を、他のお墓へ移動することを「改葬」といいます。市内の墓地などから他のお墓へ改葬する場合は、市へ申請の手続きを行い、許可を受けなければなりません。      (墓地、埋葬等に関する法律第5条)

1)光顔寺納骨堂のご契約

2)光顔寺納骨堂から受け入れ証明書を発行

3)七尾市市民生活部環境課(電話番号:0767-53-8421)に光顔寺納骨堂の受け入れ証明書を添付し、改葬許可申請をする

4)七尾市より改葬許可証を受け取る

5)墓じまいの業者様の選定&契約

6)墓じまいの法要を行う(菩提寺がない方は光顔寺に依頼することもできます)

7)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

8)改葬許可証とご遺骨を持参され、納骨

(墓じまい業者様が遺骨を持参する場合は事前に日程連絡をお願い致します)

参考: 墓地、埋葬等に関する法律 (リンク)

【仏教ブログ】無明の酒に酔った人へ「しらふで生きる」(町田康著)より2020年07月15日 13:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

新型コロナウイルスによる自粛も解禁され、観光地にも人が戻ってきています。徐々に以前のような生活に戻りつつあります。

これまでの自粛要請期間で何度か報道されていたのが、在宅時間が長くなることによる飲酒の増加で健康を損なう人が出てくるのではないかというものでした。

※参照

【新型コロナ】知らぬ間に、飲酒量が増えていませんか? 専門家「緊張状態が続く今、危ない」(ハフポスト日本版)

この度のコロナ禍で、在宅ワークに変わったり、あるいは仕事が減ったり失ったりでそのストレスからいつも以上にアルコールに手が伸びるのも気持ちとしてはよく分かります。

酒を飲むことでストレス解消になる人もあります。しかし、それで本当にストレスが解消しているのでしょうか?

そうではないということを、「しらふで生きる 大酒飲みの決断(町田康著)」から紹介します。

著者の町田康氏は、芥川賞作家で30年間一日も欠かさずに酒を飲み続け、さまざまなトラブルを起こしてきました。それがある日酒を辞めようと思いそれ以来4年間断酒を続けています。その経緯を書いた本がこの「しらふで生きる 大酒飲みの決断」です。

そこから一部引用します。

酒をやめたと言いしばしば酒徒から受ける問いに「それで人生寂しくないですか?」というのがあるがそんなことはない。なぜなら、人生とはもともと寂しいものであるからである。(酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい より 「しらふで生きる」)

酒を飲む人は、酒を飲まないと人生は寂しいと考えます。しかし、この考え方は酒飲みに限らずあらゆることに当てはまります。それは「仕事」であったり「家族」であったり「趣味」であったりします。それらがないと、「人生寂しい」と私たちは考えてそれらに熱中します。

しかし、この町田康氏が言うように「人生はもともと寂しいもの」なのです。いろいろなものをもってきて、寂しい人生を楽しい人生にしようとしても、それは暗い部屋にロウソクをともしたようなもので、部屋そのものが暗いことに変わりはありません。

それでも、いろいろなものによってその人生の寂しさを紛らわせているのが私ではないでしょうか?

親鸞聖人の書かれたお手紙にはこのようなことが書かれています。

もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。(親鸞聖人御消息)

そのことを「無明の酒に酔ひ」と言われています。多くの人は、いわば酒に酔っているようなものだということです。何が大事なのか判断が出来なくなっています。

そんな無明の酒に酔っている私が、阿弥陀仏の本願を聞いてより、その酔いも醒め南無阿弥陀仏と申す身になったと言われています。

人生は寂しいものですが、無明の酒では解決できません。南無阿弥陀仏を聞いて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】本当に大事なことは何でしょう?三帰依文から聞く32020年07月01日 01:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

三帰依文について書いてきましたが、今回は3回目です。

今回は、以下の部分について書きます。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。

願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

大まかな意味は、この上ない大変深い法は、どれだけ長い間懸かっても出会うことはないくらい遇うのが難しいものです。それを私は今、聞いて受けることができました。願うことは、仏様の真実の教えを理解できるようになりたいです。

となります。

同じ三帰依文の最初にも「仏法聞き難し、いますでに聞く。」とあります。それだけ、仏法は聞き難いものなのです。

では、なぜ聞き難いと言われるのでしょうか?

それは、生死の解決を説かれているからです。私たちにとって、分かりやすい病気が治るとか、人間関係が円滑になるといったような話は大勢の人にとって関心のあることです。事実、そのような本も沢山出ています。

反対に多くの人にとって、生死の問題は忙しい毎日の中でついつい後回しにしたり、忘れられているものです。人は生まれたからには、必ず死なねばなりません。そして、死んだ後はどうなっていくのでしょうか?

特に死ぬこと自体も、現代人は忘れがちです。人生の最後を病院で迎える人は、日本人の場合は8割を越えています。そのため、人の死に立ち会う場面も少なくなっています。他人の死でもそうですから、まして自分の死となるといつかはやってくるとはいえ、気にしない人が大半です。

気にする人はあっても、葬式や墓の準備まではしても、いざ自分が死んで行かねばならないということを本当に考える人はどれほどあるでしょうか?

仏教では、私たちは生まれて死んだ後はまた、別の生を受けまた死んでいくことを繰り返していくと教えられます。しかも、それは際限なく続くので生死流転とか、流転輪廻と言われます。その際限なく繰り返す生死から出て離れることを、生死出離といいます。その生死を離れ、本当の安心を得るのが仏教で言う解脱です。

どんな人にも必ずやってくる死という問題も、この生死から出て離れないことには解決ができません。ただ、そんな問題も多くの人はついつい忘れて過ごしているので仏法は聞き難いと言われます。

いろんなご縁で、その生死の問題に目が向いて、仏法を聞こうという気になられたら、それは大変有り難いことです。また生死の問題は、とても大きなものですが、そこから出て離れる法ですから「無上甚深微妙の法」と言われています。それだけ、この上なく深い教えが仏教ですから、是非聞いて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。