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【仏教ブログ】本当によりどころとなるものについて。三帰依文から聞く22020年06月15日 16:06

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の記事で、三帰依文について書きました。

今回はその続きです。

大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。

自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。

自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。

願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

ここで三帰依について浄土真宗辞典ではこう書かれています。

さんきえ 三帰依

略して三帰ともいう。帰依仏・帰依法・帰依僧の三。仏・法・僧の三宝に帰依すること。この三帰依は仏教徒としての必須条件である。

「帰依」というのは、信じよりどころとすることの意味です。

そこで三帰依文の大まかな意味を書きますと、今回先にあげたものはこうなります。

みなさんも私も、まことの心で仏さま、仏様の教え、その教えを信じる人の集まりを信じよりどころとしてください。

そして私は、仏に帰依いたします。法(教え)に帰依いたします。僧(教えを聞く人の集まり)に帰依いたします。

この上のない大変深い教えは、どれだけ長い期間迷い続けていてあうことが難しいものです。私はそれにいまあわせて頂き聞くことができた。どうか仏様の真実の教えがわかるようになってもらいたいと言われています。

昨今のコロナ禍によって、それまで信じてよりどころとしていた人やものを失った人も多くおられます。例えば、観光に携わる仕事の人たちはその前提であった観光客が来なくなり大変苦しい状況になっています。飲食店の人は人が外食をするという前提が崩れ大変苦しい状況になっています。

それまで当たり前だったと思っていたことも、いつどうなるか分からないということを改めて知らされたのが昨今の状況です。

私たちは、それぞれがこれは間違いないということをよりどころとして生きています。しかし、それが本当に間違いないものなのでしょうか?いつどうなるか分からないものを拠り処として生きていくと、いつか崩れるのではないかと常に不安がつきまといます。

そこで私たちが本当に拠り所となるものはなんなのか。それについて仏・法・僧の三宝に帰依をしなさいと勧められ、私は仏・法・僧の三宝に帰依いたしましたというのがこの三帰依文です。どうか、みなさんもこの仏・法・僧をよりどころとして、また拠り処となりましたという安心をえて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】本当に大事なことは何でしょう?三帰依文から聞く12020年06月01日 16:06

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

緊急事態宣言が終わり、少しは日常が戻って参りました。

特に小中学生にとっては待ち望んでいた学校の再開です。日ごろは、学校から帰ってゲームばかりしていた子供も、長い休みの間、外にもあまり出られず、ゲームばかりをしてさすがに飽き飽きしたという声も聞きました。子供にとって本当に大切なもの、やりたいことは何だったのかを振り返る機会だったのかもしれません。

子供に限らず、私たちも、本当に大事なものは何だったのかを考える期間でした。いつも当たり前のようにあったものが、先日の緊急事態宣言の間になくなってしまったものもたくさんあります。また会わなくなった人も多くいると思います。このように、本当に大事なものというのは失って初めて気が付くことが多いです。反対に、失って見て思ったほど自分にとって大事ではなかったと気がつくものもあります。

では失ってそれが大事だったか、そうではなかったの違いはどこで起きるのでしょうか?それは、自分にとって替えがきかないものかどうかです。

「三帰依文」には以下のような言葉があります。

人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。

大まかな意味を書きますと、人間に生まれることは難しい、しかしその受け難い人としての生をいますでに受けている。仏の教えは聞き難いが、いますでに聞かせて頂いた。このいまの私が、この人生で迷いを離れることができなければ、さらに何度生まれ変わりを繰り返しても迷いを離れることはできないだろう。というものです。

私のいのち、私の人生というのは私にとってもっとも掛け替えのないものです。なぜなら、私の人生を他の人に変わってもらうことはできないからです。それも、その人間に生を受けるということは大変有り難いことです。そのありがたい人間の身に生を受けたのですから、無為にすごすのは大変勿体ないことです。

仏教もまた掛け替えのない教えです。なぜなら私が迷いを離れる教えが説かれているからです。そんな教えにはなかなかあい難いものですから、仏法聞き難しといわれます。

その仏法をいま聞いている人は、掛け替えのない機会を得ているわけですから、この今の人生で迷いを離れなければ、次にいつ人としての生を受け、その上仏法をきくことがあるでしょうか?だからこの人生で迷いを離れましょうといわれているのが三帰依文の最初の部分です。

私にとって、本当に大事なものはこの私のいのちです。ですが、ただ迷いを重ねることが大事なのではなく、迷いを離れることが大事です。そして迷いを離れることを教えられているのが仏法ですから、どうぞその教えを聞いて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。