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【仏教ブログ】昨今のコロナウイルス問題から思い出す御文章4帖目9通「疫癘」(2)2020年03月13日 09:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の続きです。

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当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。(御文章4帖目9通)

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流行病で多くの人が亡くなることに対する驚きに対して、蓮如上人は「さのみふかくおどろくまじきことなり」と言われています。

当時の人は、病気が流行する原因を、何かの祟りであったり、日の善し悪しに求めてそれを恐れる人も多くいました。しかし、仏教では縁起によって物事を説明されます。縁起とは、業を因として、それが結果として現れるのに縁となるものと合わさって、結果が出てくるというものです。その意味では、病気が因となって死と言う結果が現れたのではなく、生まれたことが因であって、病気は縁となり死と言う結果を表したということです。決して何かの祟りで人が死んだということはありません。

今回の新型コロナウイルスもそのうち終息していくことと思います。そうなれば、時間とともに今回の問題も忘れ去られていくことでしょう。しかし、病は死の縁でしかありませんから、今回のウイルスが終息したからといって死なくなったのではありません。

言い換えれば、病気の対策は出来ても、死ぬ対策はしないまま死を迎えるということです。必ず死なねばならない私にとって、生きることは期間限定のつかの間のことであり、死ぬことは分からないまま迎えなければならないものです。そうなると、生きることも死ぬこともどういう意味があるのか考えてしまいます。

それに対して浄土真宗では、阿弥陀仏の救いを教えられます。

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このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。(同上)

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阿弥陀仏は、罪はどれほど深いものでも、一心に阿弥陀仏にまかせるものは、必ず救うという仏様です。その阿弥陀仏の「必ず救う」の仰せにまかせ、疑うこころ露ちりほどもない身になって浄土に往生する身になるのが、私が生きて死んでいく土台となるものです。

生きていくことも死んでいくことも、この浄土に往生するという土台があってどちらも有り難いものになっていきます。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

七尾市方面からの納骨堂のご利用・墓じまいについて2020年03月07日 17:03

能越道の無料化以降、七尾市はじめ能登方面からご納骨・葬儀法要・法話のご縁をいただくことが多くなっております。

(七尾方面から当納骨堂への最寄りインターは能越道福岡インターです)

そこで納骨堂のご利用に関して、七尾市民や七尾市内に墓地がおありになる方の納骨堂のご利用の流れを記させていただきます。

※一般の納骨堂ご利用の流れ

1)光顔寺納骨堂のご契約(納骨予定者様が生存中・死後を問いません)

2)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

3)埋葬許可証(火葬証明書)とご遺骨を持参され、納骨

※墓じまいを伴う納骨堂ご利用の流れ

墓地や納骨堂などに埋蔵・収蔵されている焼骨や遺体を、他のお墓へ移動することを「改葬」といいます。市内の墓地などから他のお墓へ改葬する場合は、市へ申請の手続きを行い、許可を受けなければなりません。      (墓地、埋葬等に関する法律第5条)

1)光顔寺納骨堂のご契約

2)光顔寺納骨堂から受け入れ証明書を発行

3)七尾市市民生活部環境課(電話番号:0767-53-8421)に光顔寺納骨堂の受け入れ証明書を添付し、改葬許可申請をする

4)七尾市より改葬許可証を受け取る

5)墓じまいの業者様の選定&契約

6)墓じまいの法要を行う(菩提寺がない方は光顔寺に依頼することもできます)

7)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

8)改葬許可証とご遺骨を持参され、納骨

(墓じまい業者様が遺骨を持参する場合は事前に日程連絡をお願い致します)

参考: 墓地、埋葬等に関する法律 (リンク)

【仏教ブログ】昨今のコロナウイルス問題から思い出す御文章4帖目9通「疫癘」(1)2020年03月03日 10:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

新型コロナウイルスの影響で、感染された方、亡くなられた方も出てきている状況です。予防の為の需要が高まり、マスクや消毒液の品不足が続いております。

多くの病気に対して治療薬が開発されている現代では、有効な薬がない新型ウイルスは大きな脅威として人々に不安を与えています。

こういう病気についての話を耳にすると思い出すのが、御文章4帖目9通の「疫癘」と言われる部分です。御文章は、蓮如上人(1415−1499)が御門徒に書かれたお手紙です。その手紙を通して御門徒に浄土真宗の教えを伝えていかれました。

その中でも今回紹介する4帖目9通「疫癘の章」は、当時流行病によって多くの方が亡くなったころに書かれたものです。

一部引用して紹介します。

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当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。(御文章4帖目9通)

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この当時、多くの方が流行病によって亡くなりました。しかし、流行病によって初めて人は死ぬのではありません。生まれた時より決まっていることなのです。だからそれほど驚くことではありません。

蓮如上人がこのお手紙を書かれたのは延徳四年です。死者が多く出たために年号を変えたほどでした。この頃は、医学研究も進んでおらず、このような大規模な病死者が出ると何かの祟りであると考えたり、あるいは日の善し悪しではないかと考える人がとても多かった時代です。そのためこのような疫病や自然災害が起きると年号を変えるということをよく行っていました。当時の人の不安はとても大きかったと思います。

それに対して蓮如上人は、「さのみふかくおどろくまじきことなり」そんなに驚くことではないといわれています。

それはなぜかと言えば、死ぬこと自体は生まれた時より決まっていることだからです。病気があって初めて人は死ぬのではなく、生まれたからには必ず死ぬと言うことです。

ただ、私たちは日ごろ死ぬということに驚かないどころか、忘れて生きているのが実態です。今回のような新型ウイルス問題が起きると、病気に感染するかどうかを不安に思う人はありますが、死ぬことに驚く人は多くありません。

死を間近に感じて当事者として死を考えた時にいろいろと浮かぶ不安や問題があります。それに対しての救いを説かれたのが仏教であり、浄土真宗です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。