【仏教ブログ】冬は春に備える季節

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

11月と言えば立冬です。暦の上ではもう冬となります。朝晩の冷え込みもだんだん厳しくなってきて、季節となってきます。

稲畑汀子(いなはたていこ)さんの俳句に

いそがせる 心は別に 冬に入る 

が有ります。

だんだんと年の瀬が迫ってきて、まだまだと思っている心とは別に季節は秋から冬に変わってしまいます。

特に今年は、10月に入っても暖かい日が続いた関係で、夏からあっという間に冬になった感覚です。いそいで暖房器具を出した人も多いのではないでしょうか。季節が変わればそれに合わせて冬支度をします。私たちの人生も、1年に譬えると春去り秋去りするとやがて冬の季節を迎えます。

それも1年と同じで、冬が来るのもあっという間のことです。蓮如上人は御文章に以下のように書かれています。

おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。(御文章5帖目16通白骨章)

ここでは「この世の始中終」と言われて人生の始め、中頃、終わり頃を言われています。どれだけ長く生きたとしてもその間と言うのは幻のような一生です。あっという間に過ぎていきます。

確かに冬と言う季節は、木の葉も枯れ、山も雪に覆われてとても静かな季節です。

しかし、その地中には、夏や秋に実った種が、やがて春になって芽吹くのを待っています。その意味では、冬の時代は春を待ってスタートを切るための準備期間と言えます。

そのように、私の命が終わったときに、仏となる種が浄土で花開くのが、往生成仏と言うことです。もちろん種がなければ芽が出ることもなければ花が咲くこともありません。

ではそんな種はどこにあるのでしょうか?私の体をどれだけ探しても仏になるような種は見当たりません。そこで阿弥陀仏は、私に仏になる種を与えてくださいます。その種と言うのが、南無阿弥陀仏です。この南無阿弥陀仏を私がいただいたことを、浄土真宗では信心といいます。この信心一つで浄土に往生し、仏とさせて頂けるのが浄土真宗の救いです。

往生浄土という花が咲くためにも、真宗の教えを聞いて頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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